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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのsilkのネタバレレビュー・内容・結末

4.6

このレビューはネタバレを含みます

なんかめっちゃ疲れてて書き殴りになってしまうけど、鑑賞中/鑑賞直後に考えたことをまとめた。

①「自分の問題」と「世界の問題」
エヴリンが「自分の問題」(確定申告、コインランドリー経営、家族の世話)と、「世界の問題」(マルチバースの危機)の両方に対処する様は、現代の我々そのものだ。環境問題、戦争、不景気、多岐に渡る差別の問題、ジェンダーの問題、その他あらゆる社会問題…そういった「世界の問題」に異を唱えてもなお、それとは別に「自分の問題」は続いていて常に対処することを求められている。
そもそも生きているだけなのに、やるべきことや考えることが多すぎるのだが、インターネットとSNSの登場によりそれが更に加速&複雑化している。今まで可視化されなかった問題が次々と可視化されてきている。「世界の問題」と「自分の問題」の両方に向き合い始めると序盤のエヴリンの様にどちらかが"上の空"になり、向き合い続けた挙句には中盤のエヴリンの様に「メンタル不安定」「メンタル崩壊」状態になってしまうのだ。
実は「世界の問題」と「自分の問題」は地続きであり、それを象徴するように国税庁(「世界の問題」を放置して国民に税金を支払わせる機関)が登場するのだが、そこで働く職員の女性の人間性、ひいてはエヴリンと恋人同士だった別のユニバースまで出てきて、改めて国家権力に属する人間と理解し合える可能性が示唆されているのが嬉しいところ…。
別のユニバースにワープする手段が「全力でふざけること」なのも秀逸で、今までにっちもさっちもいかない状況で頭が煮詰まった時、友達とふざけて変なことしてバカ笑いしたことがどんなに私を救ったか…!!!と、この設定自体に目頭が熱くなる。

②世界を脅かす存在/理解不能な存在としてのZ世代と、Z世代の絶望
山積みになった「世界の問題」の中に産み落とされ、実生活やインターネットによってそれらに感化され続けた結果、若くして既に疲れ果てているのがZ世代だ。"もう無理じゃん、おじさん達/おばさん達、偉そうなこと言って何にも分かってくれないし、現状変える気も変える力もないし。"ジョイは絶望したZ世代として登場する。そりゃ、こんなクソみたいな問題だらけの世界渡されて、はいこの通りにやりなさいとか言われたら、知らねえよ!!!死ね!!!って言いながら全部everything bagelの中にぶっ込みたくなるよね。分かる。
カオスなマルチバースを発見しバースジャンプを開発したのはエヴリン(ミドルエイジ世代)であり、ジョイ(Z世代)は過度なバースジャンプを繰り返したことで精神が破壊された結果、カオスなマルチバースを統べる存在になる。ミドルエイジ世代がカオスな世界をZ世代に与え、それに感化され続けた結果、絶望したZ世代ができあがったのだ。
一方で、「世界の問題」つまりマルチバースの危機を起こしているのがジョイであるという設定は、ミドルエイジ世代にとってZ世代が「自分たちが必死で保ち回してきた世界を脅かす存在」「理解不能な存在」であるということを意味している。
育ててもすぐに職場を辞めてしまうZ世代…FIREして早くリタイアしたいZ世代…家族/子供なんか要らないと言うZ世代…ミドルエイジ世代にとっては頭の痛い存在だろう。(Z世代がそうなってしまうのにはそれなりの原因も理由もあるのだが。)
だが、ミドルエイジ世代とZ世代の完全対決という訳ではなく、ジョイの祖父(シニア世代)とジョイの間で板挟みになるエヴリンは、Z世代のことを完全に理解できる訳でも完全に理解できない訳でもなく、だが理解したいと願うミドルエイジ世代として描かれている。(ジョイは母には受け入れてもらえると思ったからこそ母にカムアウトした→エヴリンは娘のセクシャリティーを肯定しようと努力しており実際ある程度肯定できている→だがそれを世間/特に祖父世代に公表するのは良しとしていない、という解釈を私はしている。)
最初エヴリンはベッキーを祖父に"ジョイの友達"と言って紹介するし、最後エヴリンとジョイが抱き合うシーンで、やっぱり「アンタは太ってて…(云々)」と言ってしまう。Z世代からすれば「クィアの子供たちを理解してない」「それはルッキズム的でアウト」なんだけど、子が祖父に理解されずに傷つくことを無意識のうちに避けたり、子の健康を心配しまた素直に愛情を表現するのが苦手な母がつい口をつい出てしまう発言なのだろう。
それぞれの世代を多角的で優しい視点で描いているところがこの作品の好きなところだ。
エヴリンがマルチバースの敵達を次々と薙ぎ倒していく姿は、中年女性の万能性に頼りすぎでは…と思ってしまったが、頼りなく見えたウェイモンドが、現実世界の確定申告の問題を何とかしたのでプラマイ0で良いかな。

【補足】
後に、エヴリンとゴンゴンは北京語、エヴリンとウェイモンドはマンダリン、エヴリンとジョイ/ウェイモンドは英語で話していると知り、世代間のディスコミュニケーションを象徴しているなと改めて思った。

③ミドルエイジになって振り返る今までの人生と別の人生の可能性
今までミドルエイジ、特に中年女性が主演の作品を見たことがあまりなく、そもそもそういった作品は数が少ないのだろう。現在でも女性の人生はパートナーの男性によって左右されることが多く、数十年前なら尚更そうだっただろう。
「あの時ああしていたら今頃どんな人生だっただろうか」と考えることは誰しもあるだろうし、特に現在の中年女性を主役にしたそういう物語を見られたことはとても嬉しかった。夫に連れ添ってアメリカに移住し、移民一世としてがむしゃらに頑張ってきたエヴリンが、上手くいっていない自分の人生と別の人生の可能性を振り返った時に、それでも自分の娘/今ある全てを抱きしめられたラストは非常に希望が持てるものだった。
ここまで物分かりの良い母親でなくても良いのでは?という気持ちに少しなったが、エヴリンの様に、凡庸な母親だと他人から思われている或いは自分がそう思っている、全ての中年女性に対する賛歌であり、それがこの面白さとクオリティーで描かれたことがとても嬉しい。

理解不能とかカオスとか言われてて、たしかに最初はびっくりしたけど、中盤くらいから何がしたいのか分かり始めてからはすんなり観れた。個人的には別れる決心とかの方が全然難しくて理解不能だったかも。
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