キノ

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのキノのレビュー・感想・評価

4.5
低評価(海外評含む)に驚き。確かに字幕・寝てまう・複雑設定の三重苦(減点-0.5)で、個人的にもマーベリック(星5.0)が上。でも私は納得の受賞。

本作は、一言で言えば「生き疲れた人に効く座薬」。下ネタ全開の本作が偶然尻に刺さされば高評価、座薬を飲んじゃったら低評価で、正反対に分岐。分岐点は序盤に訪れる。真円の鏡の中の3人家族から始まり、そのひび割れが描かれ始める序盤。三人の演技表情(=心情)に注視し、特に母に感情移入してカオスなSFによる翻弄を味わうと、単純物語(ひび割れた鏡にぽっかり穴があく)を追える。一方、SF設定に注視すると疑問だらけで置いていかれる。この感情離反を解決出来なかったのが、本作の最大の欠点。

監督(ダニエルズ)はシュールおバカ下ネタをやりたいだけの天才、と思う。この最悪な監督の本性を作品の裏に嗅ぎつけるので、低評価の人は、最低気分で途中退出になる。一方高評価は、作品自体のテーマ「でも、よりシュールなのは『建前だけのポリコレ』だし、よりおバカなのは『自殺』だし、下ネタより汚いのは『肉親殺し』だ」を見抜き、監督を許容し、この天才的言い訳に感服しながら見続けられる。

例えば作中、犬を使ったシュールシーンに、ワハハと愉しめば普通評価で、うっとなって「虐待で笑えるか!」と思えば低評価。はっと気づいて「犬をベビーカーに乗せて『あげる』のもシュールかぁ」と苦笑すれば高評価になる。通常人は、飼い主の優しい気持ちに共感できる。しかし、「ペットとして人に使用される」事は犬目線で、優しさであり得るか?その一点(=固定観念による偏見)をズブリと刺す皮肉で、HAHAHAを禁じ得ない。これが「飴と思いきや座薬」現象の一例。シュールが観客の偏見を打ち砕くために必要だという「天才的言い訳」が完成している。

対称的なのが「飴と思ったら凄い美味しい飴」のマーベリック。例えば戦闘シーンに、ワーイと愉しめば高評価で、えっとなって「敵も描けん戦争なんて!」と思えば低評価。そしてはっと気づく事など無い。町山評「中身すっかすか」は正しい。しかし一段目の映画攻撃力に圧倒され、子供みたいに飴ペロペロで頬ベトベトに。普通人は、作り手の気持ちに共感できる。トム・クルーズは観客を愉しませたい。その気持ちに観客は共感して楽しむ、相思相愛がマーベリック。

一方、本作ダニエルズは観客よりも自分優先、に感じる。だから相思相愛が成立しない。しかも言い訳の「テーマ」をつけるから低評価派は嫌悪感に変わる。しかし高評価派は逆から入る。まずテーマの「身近さ」と「奥深さ」を感じ、それに意味付けられたシュールおバカ下ネタの(言い訳の)完璧さを鑑賞し、結果、監督を「受容」する。

テーマの身近さというのは、一家心中・失恋自殺などなど。実際、日本でも若者自殺や、子(=思春期&中年ニート)の親殺しは実在する。そういう「世界の終わり」の一歩手前を描くのが本作序盤。領収書に忙殺される母の心が死亡している様子。それに傷ついて泣く娘の死にたい気持ち。離婚を考える夫が、老夫婦のキスを見せつけられる様。「この世界もう嫌だ」という表情を三人共演技。そこに注視すると、マルチバースを移動する「バースジャンプ」が、SFの設定的に理解せずとも、心理的に腑に落ちる。

テーマの奥深さというのは、バースジャンプ条件「統計的にあり得ない行為」の真逆のバース続行条件「人として当然で必然的な行為」とは何か?という事。映画内では語られないけど、娘の恋人がやってる行為(ハグ・キス・エール・リスペクト)もそうで、それを抜かり無く序盤で描くのが本当に凄い。一方、映画内で語られる方は、夫の行為なんだけど、ネタバレなので・・・略

グーニーズ愛も増した。いつか感想追記する予定
キノ

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