スペクター

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのスペクターのネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

家族ドラマを基盤として、SFファンタジー、カンフーアクション、コメディー、少し同性愛、おまけに下ネタも入り交じるカオスの世界。確かにこんな映画見たことねーー。

「クレヨンしんちゃん」っぽいなと思った。劇場版でこれやったら、「オトナ帝国の逆襲」を超える傑作になったんじゃないかと。
別の世界からジャンプしてきた野原ヒロシがみさえとしんちゃんに全宇宙を守るために別世界の自分の能力をダウンロードさせて共に闘う。敵は20年後のやさぐれたひまわり(この役の声優に今旬の女優を起用)。家族崩壊の危機にも立たされて、さあどうする?と仮にこんな感じ。
バースジャンプ、違う世界にいる登場人物の能力をダウンロードするのに変なことをしなきゃいけないって設定だったり、途中出てくる下ネタも「クレヨンしんちゃん」に凄くハマると思うんだよ。

それだけにアカデミー賞総ナメには驚いた。ただ、監督賞、脚本賞、助演男優賞、助演女優賞に関しては文句無し。主演女優賞のミシェル・ヨーはこれを逃したら二度と取れないだろうという雰囲気がそうさせた感じがある。本来演技的にはケイト・ブランシェットなんだろうけど。
ミシェル・ヨーはトム・クルーズと同い年で還暦過ぎて未だにアクションスターとして体を張っているのは凄い。

変なことをしなきゃいけないっていう設定が個人的にはツボ。より違う自分になるには小さく収まらず、常識から外れ、殻を破るほど良いというメタファー。
下ネタはこの監督達の持ち味だから…、合わない人がいても仕方ない。

エブリンがマルチバースを通じて人生に様々な可能性があったことを知り、今の自分の取るに足らなさに絶望し、空虚な穴、ベーグルにジョイと共に自分も身を投じかけるのだが、そんな彼女の空虚な穴を埋めたのは旦那ウェイモンドの言葉だった。

インターネット、SNSなどの普及はまさにマルチバースに例えることができ、他人との比較を容易にし、自己肯定感を下げ、絶望しやすい世界にある。そんな絶望、ニヒリズムを乗り越えるモノは何か?
この映画に関しては他人に優しくなろうよということだった。
闘うことをやめて、対話し、他者を受け入れる為にまず必要なことは優しさだ。他者を受け入れることでやがて他者から受け入れてもらえる。
絶望すると孤立しがちで、周りのことに関心を持たなくなるが、それを悩みとして誰かに話すことで、他者と接する機会を得る。そのためにはまず人に優しくなろうと。
いくら違う人生を歩んでいたとしても、どんな能力を得たとしてもそこは変わらない大切なことだ。エブリンがウェイモンドに「あなたのやり方を真似るわ」と言って第三の目(ギョロ目シール)をつける場面はそれを物語っていると思う。

同時に家族と過ごしてきた記憶を振り返って、昔は女優や歌手じゃなくても絶望はしていなかったことを思い出す。一番のきっかけは娘と険悪になったことだった。

ジョイは自分の人生を歩もうとしているのを両親に理解されず、受け入れてもらえていないんじゃないかと失望し、虚無感に陥った。口では理解があると言っていたが、本当に理解し、受け止めてはいなかったことをエブリンは悟る。そして優しさでもってそれを受け止めることでジョイの絶望、虚無感を打ち砕こうとする。ゴンゴンとエブリンの関係にもそれは言えることである。

これはゴンゴン、エブリン、ジョイ、3世代のジェネレーションギャップ、価値観の違いを乗り越えようとする話でもある。
中国では儒教思想的に男の子がもてはやされ、女の子が産まれると残念なことにと付け加えられる。あるあるなんだよね。でも、エブリンは「父さんは私を分かってない。私は残念な存在なんかじゃない。」と自分を強く肯定するに至る。

コロナ禍によって仕事を失ったり、大切な誰かが死んだりしたことで不安や絶望に苛まれ、政治的に価値観的に人々が分断され、何が起きてもおかしくない世界を生きている中で、この映画のメッセージは深く刺さったのではないかと。

あとこの映画それぞれの世界線が様々な映画のパロディーだからそれを当てるのも楽しいかと。

ベッキーとエブリン達とのやり取りをもう少し丁寧に描いた方がよかったのでは?と思うけど、今時代が最も渇望しているモノを描いたエブエブは特別な映画になったんじゃない?

この映画、情報量が多いから吹き替えがおすすめ。
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