さ

すずめの戸締まりのさのレビュー・感想・評価

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
3.1
新海の性欲の矛先に対してファイティングポーズをしながら挑んだら背後から滅多刺しにされた…
話がどうこうではなく3.11描写があまりにもリアルで怖すぎてショックで大泣きしちゃったよ

ネタバレどうこうではなくあそこまでしっかり描写するのなら事前に言って欲しい
「地震や地震速報の描写があります」どころの騒ぎではないし、冒頭公開した程度でこんなの察せるわけないだろ……

内容の話をすると、テーマの本質に一番近いのは恐らく星を追う子どもで、幼い日の喪失や傷や空虚感、ここではないどこかへの思い、どこかぎこちない身内との距離感などをより具体的に肉付けして描いているのかな

「失ったものは戻らない 喪失を抱えて生きろ それが死者への餞であり未来への祝福である」を病気や寿命など個人のスケールで描いたのが星を追う子ども、未曾有の大震災をモデルに大きなスケールで描いたのがすずめの戸締まりという事なのだと思う

星を追う子どもを製作していた頃の新海監督はまだ脚本術を学んでいる最中でもあったのと公開時期が重なったこともあり、その頃感じたものや表現しきれなかった部分を込めたのだろうとダイレクトに伝わってきた

大衆エンタメ作品として要素を盛り込みツッコミどころは作りつつ、センシティブなテーマである東日本大震災の鎮魂と送別、再起などの軸は茶化さず丁寧に描ききっていたので好印象でした

ただ、個人的な好みとしてはすずめの戸締まりより星を追う子どもの方がだいぶ好きかな

君の名は。と天気の子のような現実世界にちょっとファンタジーな味付けくらいのバランスならアオハルラブコメのノリも受け入れられたけど、伝奇テイストで震災ネタを扱うならもう少しローテンションでシリアスなものが見たかったので…

芹沢の「綺麗なところだな」に対してすずめが信じられないような顔で「ここがですか…?」と返していたのがとても印象的だった
元々の街並みを知らなければ何もない緑の広がる土地を美しいと感じるのは無理からぬことだけど、土地を知る人は奪われた元の姿と瓦礫の山をどうしても思い出してしまうのだろうし

瓦礫の中を泣きながら彷徨う幼いすずめをすずめが抱き締め拒絶されるシーンは泣いてしまった

17歳のすずめが心の中に押し殺していた自分にやっと向き合えたけど、それは今の自分には救ってあげることがない
幼い自分が自分の足で歩いて歩いて今の“私“になるしか道がない
だから祝福を残し、辛い道のりだけどいつか明日の“私“に辿り着く日を信じて「いってらっしゃい」と送り出す、そんな行きて帰りし物語でした

ただ、私はすずめの行動に対して全くしっくり来ていないんだよね
おそらく軽率な行動をするわりに責めを負わないからかもしれない

軽率に要石を抜いてしまったり(西の封印が解ける)、無責任に子猫を「ウチの子になる?」と誘ってしまったり(ダイジンが懐き暴れ始める)、なし崩し的に家出(まぁこれは説明しても精神異常を心配されるだけだから仕方なしとも言えるが)をしたりと、気になる無鉄砲な行動が散見しており、更にそれに対して責任や反省がなさすぎん?

要石に関してはソウタの「遅れた閉じ師が悪い」とフォローが入るし、生き物を拾うという大きな決断に関しても(ダイジンの邪悪ムーブがあったとはいえ)軽い気持ちで誘って猫より大事なもののために消えてと切り捨てる→そこを姉の娘を引き取った環さんに関連付けて内省することもなく、保護者として追いかけてきた環さんには「そっちがうちに来いって言ったんじゃん!」と売り言葉に買い言葉
わだかまり解消イベントとして必要だったのは勿論だけど、結局和解は自転車の環さんの切り出しから始まりすずめは守られ続けてるんだよね

救われるべき少女なのは間違いないんだけど、ダイジンに対してはもっと誠実に向き合って欲しかった気もする
自分が軽率に自由と愛を与えて誤解させて突き放した末に暗く寂しい役目に戻った幼い神様なので

やっぱりすずめとソウタに恋愛感情入らなかったよ……
ラブストーリーの文脈が乗ると震災由来の強迫観念より「愛にできることはまだあるかい」的無鉄砲さの方を感じ取ってしまうんだよね

フィクションには愛のために命を軽んじ身を投げ出す作劇がありふれているので、ソウタに対する想いが色恋じゃなくても死ぬことは怖くないあの人がいない世界が怖いと言えるのか?それは本当に後ろ向きな震災由来の強迫観念から来ているのかそれとも愛の成し得る自己犠牲なのか?というのはラブストーリーの文脈を取り除かないと分からないシュレディンガーのすずめなんじゃないかと思う

フィクションにおいて仲間や大切な人のためなら自分を犠牲にして事を為すというのは普遍的な文脈であり、それは新海作品でも同様なんだよ

今回すずめが「死ぬのは怖くない」もその文脈に乗っかっていて、たまたま震災経験のあるなしでそこに独自性を見出すのは難しくない?
だからこそ、過去の経験から自分の命が軽いことを見出すならソウタに出会う前段階から溺れている猫を助けに海に入ったり車に轢かれそうな子どもを庇ったりといったような無鉄砲さやそれに関して怒られてもいまいちピンと来ずのらりくらりと躱すような描写が必要になるんじゃないのか、好きな人と出会ってその人のために自分の身がトレードオフになるなら普遍的なラブストーリーの文脈の外に出ないでしょ

だからこの作品で主人公の心の傷や強迫観念や再起をやるならラブストーリーが余計に感じるし、ラブストーリーと両立させるならソウタと出会う前のすずめをもう少し肉厚に描写してあったらよかったのに

やっぱこれソウタとのラブストーリー抜いてバディものにしてほしかったな…………

2022年劇場鑑賞:57作目
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