こーもり

生きる LIVINGのこーもりのネタバレレビュー・内容・結末

生きる LIVING(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

100分にこれだけの要素をバランスを崩さずに、よく詰め込んだと驚きを禁じ得ない。

端的にはビル・ナイ演じるウィリアムズが死を悟った後に生き方が変わるという話だが、見てる者により刺さるのは次に挙げるような皮肉の方ではないだろうか。
1つ目に、大変尽力して作った公園の手柄は赤の他人に奪われてしまったこと。2つ目に、大層な時間を使って誓いを立てた新しい課長もすぐに生気の無かった頃のウィリアムズと同様に「預かろう。支障がない。」という台詞を言うようになってしまうこと。3つ目に、警官がウィリアムズと喋ったことはないけど大変尊敬しているように結果的に死に際も公園の立役者として尊敬されていただろうが、生前は死んでるようだとゾンビとあだ名が付けられ、死後により尊敬されるようになったが、死んでしまった今その祝福をウィリアムズが受けることは最早出来ないこと。特に最後の3つ目は、2つ目に新課長がやる気が続かなかったこととも関連するが、結局人は死ぬ間際位にしか頑張れないという厭世的な結論とも取れる。

演出面では、台詞、環境音、音楽の3つを細かく使い分けていたことが印象的だった。
ウィリアムズの息子の妻が問いただすように仕向ける夕食の場面では音楽がなく食器の音が物々しく響き、回想でウィリアムズが公園作りに奮闘するシーンは台詞無しで環境音と音楽のみで困難が次々と降りかかる中、淡々と、だが着実に進む様が伝わってきた。更に特徴的なのが場面が変わっても音楽は変えずに流し続けるシーンが多かったこと。このせいなのか映画の各場面が流れるように繋がり飽きることなく気付けば最後まで見切っていた。

ウィリアムズは子供の頃を思い出して、公園で遊ぶ際に母親に帰りを告げられるまで座って待ってるだけの子になりたくないと決めたが、この母親の呼ぶ声は既にウィリアムズの母も亡くなってるだろうことを考えると死の迎えのことかと思われる。つまり、最後は公園でブランコを漕ぎながら死ぬウィリアムズは死を告げられるまで遊び続けることが出来たので願いは叶ったと言える。
このことは、最初に海辺のボーンマスに行ったり、エイミー・ルー・ウッド演じる部下のマーガレットと食事をしたり映画を見たりしても「時間の潰し方が分からない。」と嘆いていた悩みについても、パブでマーガレットに自分に迫る死を打ち明けることで自分のしたいこと、紳士になりたかったことが明確になり、誰かのために何かを真摯に行うという答えを得て、結果的に時間の使い方も紳士になることも実践できていた。

ボーンマスで劇作家には大家が心配するから自殺を諦めたと言いつつ公園で自分が亡くなることで変な噂が立つことを心配しなかったのか少し疑問に思ったが、1つ考えられるのはウィリアムズが自分を客観視するという観点で本当に鈍感だった可能性。食卓で息子の妻から街で噂が広がるのは早いと言われても自分のこととは思う素ぶりも見せずに食事を始めるシーンや、マーガレットに周りに「老いらくの恋」と見られると指摘されるまで、老いた男が若い女性と一緒にいることに対して何も危機感を感じていなかった点にも鈍感さは描かれている。

理解が間違ってる点や見落としてる点も多々ありそうであり、純粋に本作との違いも気になるので、未だ見ておらずお恥ずかしい限りだが原作である黒澤明の『生きる』も見てみたい。
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