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生きる LIVINGのumisodachiのレビュー・感想・評価

生きる LIVING(2022年製作の映画)
5.0



カズオ・イシグロが脚本を手掛けた、黒澤明の名作『生きる』のイギリス版リメイク。

役所の市民課に努めるミスター・ウィリアムズは丸で変化も覇気もない日々を過ごしていたが、自分の余命が半年だと知ってから生き方を模索し始める。仕事をサボって遊んでみたり、転職した部下の女性と出かけてみたりすることで生きる意味を見つけようとするが……。

『生きる』は「いかに生きるか」を描いた作品であり、それが最大のテーマであることは間違いないのだが、私はサブテーマとして「若い世代に対する責任を、見返りを求めずに果たすこと」だと考えている。

主人公は子どもたちのための公園整備に奔走するが、子どもたちから直接感謝の言葉を投げかけられることはない。すれ違ってしまった息子からの謝罪シーンは最後までないし、途中で主人公と行動を共にする若い女性(とよ)は葬式にすら姿を現さない。彼が最後に人生を捧げたのは次の世代であり、男で一人で育てた息子であったはずだが、当事者たちからは一切のレスポンスがないのだ。

私はこれは極めて意図的なものだと思っている。だから、この「次世代からの見返り」要素が加えられているかどうかが一番気になるポイントだった。

設定はオリジナルと同時代のイギリス。驚くほど無理なく『生きる』の設定がそのままリメイクされていて、古き良きイギリス風味とビル・ナイの英国紳士感がマッチしている。小説家(リメイクでは劇作家)や部下の女性のキャラクター設定もかなり近くなっていて、見事にリメイクしたものだと感心した。

しかし、もちろん変更部分もある。部下の女性(オリジナルのとよ)との関わりは大幅にカットされている。オリジナルでは息子が冷たいことを愚痴った主人公に対して、とよが「でも、その責任を息子さんに押し付けるのは無理よ。だってそうでしょう? 息子さんがミイラになってくれって頼んだなら別だけど」「そりゃ、生んでくれたことは感謝するわ。だけど、生まれたのは赤ん坊の責任じゃないわよ」と言うのだが、それはバッサリとカット。そして、オリジナルでは葬儀に出席しなかったがリメイクでは出席する。ただし、葬式の場で彼女の口から主人公の行動についての何かが語られることはない。

また、オリジナルでは葬式のシーンで大人数・長時間かけて繰り広げられる「公園づくり検証」シーンは、電車の中で4人だけでなされるし、時間も大幅に短くなっている。

さらに、新入りの主人公の部下は主人公から遺言書を残される。

オリジナルではハッキリと口で説明されていた要素をリメイクでは極限までカットしているわけだが、その代わり「言わない」ことを強調することによってそれを補っているのだと私は感じた。女性が葬儀で何も言わないこと、新入りの部下が遺言の内容を誰にも言わないこと、電車の中での検証に留めて外部の人(彼の手柄を横取りした人々)の反応を描かないことにより、リメイク版は「次世代からの見返り」要素が「ない」ということをさらに強調しているのだと思う(手柄を横取りした人たちは次世代ではないけど)。「見返りがない」ことが重要だということを、カズオ・イシグロもやはり重視しているのだと分かってとても嬉しかった。

やはり、この作品の本質はそこにあるはず。やるべきことをやるだけではなく、見返りを求めることなく次世代のためにやるべきことをやる。それが「生きる」ことだというメッセージ。今まで何度も『生きる』を観てきたが、本作もこれから何度も観ていきたい。そして、若い世代にとってより良い世界になるように私も生きていきたい。

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