Yuichi

東京2020オリンピック SIDE:AのYuichiのネタバレレビュー・内容・結末

東京2020オリンピック SIDE:A(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

オリンピックから徹底的に意味を剥ぎ取っていったところにあるドキュメンタリー。
そのカメラは、熱狂に寄り添うことなく、また、批判に流されることもなく、1つの特異なポジションを獲得している。

本編中にナレーションは徹底的に排除され、字幕での意味づけもされない。
メダルの行方も、はたまた勝敗さえも明示しない。勝者の美学も、敗者の哲学も見せない。
勝ちもない負けもない、かといって、オリンピックを批判するでもない。
そこにあるのは、カメラの前の存在のみ。彼らは、オリンピアンというよりも1人の人間としてあった。

一歩、一歩、ワンショットワンショット、オリンピックとはそもそも何だったのかを、発見し直していく。
その積み重ねを見終わって感じるのは、オリンピックの本来持っている美しさだった。
それが日本であること、政治的な問題を抱えていること、批判があること、そういった文脈に乗ることなく、はたまた一般的な「オリンピック」の持つ熱狂という文脈に乗ることもなく。

ただ、そこには肉体があった。1人の人間がいた。
それだけを描き続けている。

いいドキュメンタリーには、いい距離がある。
それを見せつけてくれる一本。


これを見た後に感じたのは、
勝ち負けに意味はないけれども、勝ち負けがあることに意味はあるのかもしれない。
それは、勝ち負けがない世界が美しいのではなく、勝ち負けがあるのに勝ち負けに意味がない世界に美しさがあるということ。

今回初めて種目になったサーフィンでは、サーフィンをオリンピック種目にするための努力が少しだけ語られる。それは人間が中心ではない地球を海に目を向けるための活動だった。
その種目の映像では、ただただ、ブラジル人がサーフィンをする姿を捉える。
そこに勝ち負けはなく、何が起きたのかもわからない。海と人がうつされる。とても静かだ。

イランから亡命し、モンゴルにうつった柔道
モンゴル人としてオリンピックに出場した彼にとって、モンゴルとは?イランとは?代表とは?メダルとは?
モンゴルの国旗が掲げられていくときに、彼は何を思うのだろうか。

ハンマー投げのアメリカ人女性
アメリカという国のあり方に疑問を投げかけながら、アメリカ代表としてオリンピックに出場するハンマーなげ選手の彼女。パリッとしたまつ毛のエクステが特徴的なその目は、強い。

ウズベキスタン代表として出場した女性は、かつてドイツ代表として、ソ連代表としてメダルを獲得した。
しかし、ウズベキスタン代表としては獲得していない。
そこにある国の名前はどういう意味があるのだろうか。

スケートボードで失敗をした女性選手を迎える他国の選手たち。
そこには国の境目などはない。しかし、もしそうなら、なぜそもそも彼女たちは、国に分かれて戦っているのだろうか。
そこにある国って何なんだろうか。
Yuichi

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