じゅ

エンパイア・オブ・ライトのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

エンパイア・オブ・ライト(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

なんかいい。めっちゃ綺麗。劇場の画すげえ好きなんだよな。
エンパイア劇場写真集待ってます。


1980年、イギリス南海岸のとある映画館、エンパイア劇場。豪華なシアターを4つ構えていた劇場は、経営難により半分のシアターを閉めて久しい。朝、1人の従業員が眠った劇場を目覚めさせる。鍵を開けて明かりをつけ、他のスタッフや射影技師と共に客を迎える。彼女の名はヒラリー・スモール。スタッフを統括し、売上を管理し、そして支配人ドナルド・エリスの性処理をしていた。
エンパイア劇場に新しいスタッフとしてスティーヴンという青年が入った。年の離れた2人だったがいつしか恋に落ち、閉鎖したフロアに忍び込んで肉体関係を持つようになった。そんな2人の秘め事に気付いた同僚のニールは懸念していた。実はヒラリーは心を病んで入院していたことがあり、大っぴらにできないことをする彼女がまた精神のバランスを崩さないか心配していた。
懸念した通り試練は襲い掛かった。スティーヴンに空きフロアでのことをやめようと言われると、ヒラリーは仕事を休んで引きこもるようになる。かと思えばエンパイア劇場がプレミアの会場として使われる晴の日に異様に元気よく現れ、エリスの妻に向かって彼がヒラリーにさせていた淫行を暴露してみせた。警察まで動く事態となり、ヒラリーはソーシャルワーカーに連れられて再び精神病院に入ることになった。ヒラリーの退院後、スティーヴンにも受難の時が訪れる。黒人であることから道を歩けば嫌悪の目を向けられていたスティーヴンは、エンパイアに突入してきた暴動隊の激しい暴行により救急搬送されて入院することとなる。入院中、スティーヴンが会いたかったのはヒラリーだった。ヒラリーがためらいながら見舞いに行った際に、看護師であるスティーヴンの母に伝えられた。
退院後、スティーヴンはずっと志していた建築学部への入学を決めた。そうヒラリーに伝えた瞬間から、彼女はスティーヴンと目を合わせなくなった。出発の日、ヒラリーはスティーヴンに会いにきていた。言葉を交わすもやはり目は合わない。「もう行って」とスティーヴンを行かせたヒラリーだったが、彼に駆け寄り名前を呼ぶと強く抱き合った。
旅の電車の中、スティーヴンはヒラリーに渡された本を手に取り、栞の挟まれたページにある一節の詩を読む。


まじで画すごい。劇場が好き。劇場だった場所も好き。新年を迎えた花火が綺麗。町並みも綺麗。あと劇場が好き。劇場だった場所も好き。
めちゃめちゃいい舞台だなエンパイア劇場。羨んでしまうような立派なシアターと、かつて羨んでしまうような立派なシアターだったところが同じ建物にあるとか。ちょっと1日だけ居座らせてくれませんか。特に何も上映してくれなくていいので。


物語としては、時代の弱者が希望を掴み取る内容だったかなという印象。
スティーヴンは、人種の対立が激化した時代において周囲に味方が少ない黒人。暴動に走る者たちも職を得られない弱者と言えるかもしれないけど、群れることができず別の弱者に当たり散らすことのできないスティーヴンはたぶん弱さの種類とか何より弱さを感じる頻度が違う。
ヒラリーは、なんだろう。なんとも言葉にしにくい感覚。でも確かに弱さというか脆さというか危なっかしさというか、何かがあった気がする。精神疾患持ちで中年の女性っていうところなんだろうか。スティーヴンとビーチに行って砂の城を作ったとき、いつも男が指図して女が苦しんでるんだーみたいなこと言って暴れてたし、ドナルド・エリスとの関係のこともあるし、少なくとも女であることはヒラリーにとっての弱さなんだろうな。弱さを比べるもんじゃないけど、スティーヴンのより知覚されにくいというか理解されにくい気がして、それもまた弱さに拍車をかけていたように感じる。

スティーヴンがいつの間にかブライトンだかの大学の建築学部に合格していたり、ヒラリーが町を出ていくスティーヴンと目を合わせられなかったのにやっぱり急に駆け寄って抱きしめてみたり、人生に希望を見出せるかとか自分の気持ちと正しく向き合えるかみたいなことは最終的には自分次第なのかもしれない。でも、あるべき最終的なところに行き着くために背中を押してくれたのは映画だったということなのかな。
映画とは何だったか。言うなれば「光」の象徴だったか。1秒間に24枚だかの画像が次々とスクリーンに投影されるけど、光無くしては何も映らない。映画があることは光があること。(逆は必ずしも成立しないけど、そんなこと置いとけ。) まさに冒頭で「暗闇の中に光を灯す」みたいなことが言われてたみたいに、恨みとか憎しみとか生きづらさとかあと恥の暗闇の中に光が灯された。


「恥は人を狂わせる」とヒラリー。父は釣りが下手なのかと思ったら単に釣れる場所を知らなくて他人に聞いてみることもできない人だったんだと。恥を異常に嫌うというか人より感じやすいというかそんな人だったのかな。
閉鎖している上の階でやることやってる関係をやめた方がいいのではないかとスティーヴンに言われて、ヒラリーは「恥ずかしいのね」と詰め寄った。これは本当にスティーヴンに向いた言葉だっただろうか。ヒラリー自身が恥を感じていたからこそ出た言葉ではないだろうか。

恥がどうのこうのっていう話はすごく刺さったんだよな。恥じているっていうことはたぶん何か正しくないとか人と違うと自覚しているところがあって、それを正すとか受け入れるためにまず自分から開示してみることができない状況なのかな。魚が釣れる場所に移動するためにまず誰かに聞く(つまり自分がその場所を知らなくて間違った場所にいることを誰かに開示する)ことができないとか、立ち入り禁止の誰も寄り付かない場所で隠れて愛し合わなくていいように親子ほど歳の離れた2人の珍しい関係を開示することとか、恥のためにできないっていう。
個別のケースにぶち当たったことはないにせよ、そんなことは俺はまじであるあるだと思う。そんでこれといった外因もなく自分だけで勝手に孤立してくんだよな。狂うて。

でも、恥は手遅れになる前に克服しなきゃいけないんだな。映写技師のノーマンだったか、今22歳の息子が8歳だった頃にノーマンは家庭から逃げてしまって、今その息子は自分と会ってくれなくてしかもその理由も忘れてしまったんだと。ノーマンは自分だけの仕事場の映写室に幼かった頃の息子と思しき写真を貼っている。
彼の後悔は、逃げてしまったこと自体もあろうけど、逃げたことの恥を清算しなかったこともあるのかも。14年も経ったらとっくにもうどうしようもなく手遅れになってしまった。手遅れになったら恥よりでかい苦しみが待っていた。
でもその恥を開示してヒラリーの背中を押してくれたのはかっこよかった。ヒラリーがスティーヴンへの気持ちと正しく向き合う手助けをしてくれた。最終的にはヒラリー自身のがんばりだったと思うけど、何にせよヒラリーは手遅れになる前に恥を克服できたわけだ。

思えば、ヒラリーが恥ずべき事情を抱えていることをニールが気づいてくれて、それを克服するためにノーマンが背中を押してくれたかんじだったか。めちゃめちゃかっけえ助演の皆さんだった。


あとエンパイア劇場写真集待ってます。
じゅ

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