ふじたけ

TAR/ターのふじたけのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
5.0
この映画をアケルマンの映画に比する人がいるようだが、それは間違っているように思える。なぜなら、アケルマンの映画は冷徹な眼差しで厳格に物事を淡々と捉えるが、この映画の眼差しは厳格なルールに欠け(フレーミングやレンズ、カットの長さ)、彼女の感情と身体に振り回される主観的な映画だからだ。あえて比較するなら、ダルデンヌ兄弟の「ある子供」というべきか。主人公が自分を批判する目線を持っていないという点で両者は酷似している。

TARは自分を何も知らず、見ることができない。自分の感情を言い表す言葉を持っていない。新人に朗読時の比喩を陳腐だと言われるように、彼女の言葉というのは模倣に溢れた空疎な言葉ではないのだろうか。彼女の実力というのも疑わしい。本当の天才であれば、処世術を人に尋ねたりはしないだろうし、セバスチャンの指摘をわざわざ周りに確認することもないだろう。彼女は自分の才能を確信できていない。そのことにも気がつけていない。只今の自分の地位にロボットのように操られ、自分を偉い人だと思い、周りの人間をロボットのように操る。先程のセバスチャンの指摘を周りに確認した時も、周りは彼女の発言にすぐ同意する。誰も口出すことはできない。唯一新人を除いては。

地位だけではなく、自分の感情にもロボットのように振り回される。感情はことごとく身体に還元される(ボクシング、講義で
や廊下を歩き回るシーン)。最後、マッサージ店に並ぶ女性を見ただけで、彼女は吐いてしまう。しかしそのシーンでも言葉は語られない。彼女はなぜ吐いたのかわかっていないからだ。しかし、あのシーンが女性の売春を連想させること、彼女が女性に性的虐待を加えていたことを考えれば、吐いた理由は明らかであろう。

身体には彼女の異変は現れるが、TARの反省する様子は見られない。加害者である主人公が、映画内で直接糾弾されているようにも思えない。あくまで魅力的な美しい女性のまま物語は終わる。これを批判する声があるようだが、自分を一切反省しないTARにカメラは服従しているのだから当然である。

そして最後、アピチャッポンを思わせる宇宙的終わりかたには驚かされた。あのシーンをどう感じればいいのかは分からない。一番最後で初めてカメラはTARから解放され、奇妙な光景をドリーで優雅に収める。あれは作者がなんと言おうと都落ちだろう。(「ブンミおじさん」と同じく、エンディングはあのテーマ曲を流すべきだった)
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