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TAR/ターの06のレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.0
「才能があれば、人間性に問題があっても良い」という時代に終わりを突きつける。そんな映画だった。

まず「セッション」みたいな音楽映画を期待して観に行ったら、相当な肩透かしをくらうだろう。この映画は「音楽」が主役ではなく「音楽家」にスポットライトを当てている。どちらかと言えば「バードマン」に近い。あるいは「パワー・オブ・ザ・ドッグ」を観た後のような、えもいわれぬ不快感を感じる映画だった。

主人公ターは、傲慢で卑怯で、プライドが高く、人を踏みにじるのに無自覚な女だ。ケイト・ブランシェットがこの嫌な女をガチンコで演じているから見事。
「音楽家は音楽の奴隷である」「人種や性別で判断しない」と口ではいいながら、自分はお気に入りの少女を贔屓する。ダブル・スタンダードが甚だしいのに、自分ではそれに無自覚だ。そして高名な指揮者である自分は何をしても良いと、どんなわがままも通ると思っているフシがある嫌な女。

この映画は、典型的な「人格矯正映画」ではない。
少し昔の映画で男性主人公だったら、もしかしたらそうなっていたかも知れない。自分の腕に自信がある高慢な男が問題行動を起こすけれども、最後はこれまでの自分の行いを反省してみんなに受け入れられる——そんな映画沢山ありそうだ。しかし、TARはそうならない。

面白かったのが、主人公のターがかなり男主人公的に描かれていたところだ。彼女はレズビアンで、結婚して子供もいる。いわば一児の「パパ」だ。優しくて自分を受け入れてくれる妻がいるくせに、若い女性に目がない。彼女らを贔屓するのが好きで、そのくせ自分は平等主義者だと主張する。
もしターが男主人公ならば、同じ物語でもこんなには心に響かなかっただろう。なぜなら僕らは今まで映画で「男というのはこういうどうしようもない所がある、だから仕方ない」みたいな認識を刷り込まれているからだ。だがそれをレズビアンの女性がやることで、その行為自体の醜さが際立つ。
特に自分でコケたくせに「襲われたんだ」と言い訳するところ、あれはすごく男主人公的だった。90年代の映画のプライドの高いビジネスマンとか、こういうキャラクター造形がありそうだ。そして僕らはその虚勢を「チャーミング」と受け取ってきた。だが、同じことを(この映画の文脈を踏まえたうえで)女性がやれば、その醜悪さに顔を顰める。
その上で、彼女は後半多くの物を失っていく。ここで、実際ターが何をしたかではなく、どういう人間であるかこそが評価の軸になっていることに、潔癖さを感じて良かった。特に後半のオーケストラのシーン。これがもし従来の音楽ものの映画であれば、ターは揉め事を起こしても、そのまま指揮台に立って見事な音楽を披露し皆に受け入れられるのだろう。でもそうはならない。

TARは、僕にとっては発見の多いジェンダー映画であった。


ラストシーン、初見では「これで終わり?」と肩透かしをくらったように感じたが、あの虚しさこそ、この物語の終わりとしてはふさわしかったのだと数日かけてじわじわ身にしみる。
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