某大手アイドル事務所の権力者が、生前に年端もいかない少年たちを愚劣な性欲のはけ口にしていた事件で世間は紛糾している。
そんな折にこの映画が日本で公開されたことに、不思議な共時性を感じずにはいられない。
『TAR』は観てすぐに「おもしろい!」という即効性のあるエンタメ作品ではなくて、モヤモヤと「なんかすごい映画を観てしまった気がする…」という感覚が残った。
取り急ぎ乱雑なメモ↓
【要旨】扱われる題材/テーマ
①権力の腐敗
②権力者の孤独
③求道者の狂気
④精神錯乱
--------------------------------------------------------------
①【権力を握った人物が、その権力の大きさによって理性を失い、破滅への道を辿る一代記】
男女を問わず
「権力に溺れ腐敗する者」
という人物像を強調する上で、「主人公の性別」はノイズになり得るかも。
もしも今作の主人公が男性だったら、作品テーマが矮小化あるいは曲解された可能性があるだろうし。
「性別を超越したカリスマ」を描く上でケイト・ブランシェットを主人公に据えるのは最高のキャスティングだと思った。
(ケイト・ブランシェット扮する主人公の凋落を描いた話で『ブルージャスミン』も想起)
リディアが権力を振りかざして他者の生殺与奪を握る残酷な仕打ちが何度も描写される。
[例1]
リディアが過去に、自らの権力を使って若手の指揮者クリスタを篭絡したことが示唆される。
また、リディアは自分の意に沿わないクリスタが面倒になり、そでにし、彼女が指揮者として成功する道を閉ざした(っぽい)
その結果、精神的に追い詰められたクリスタは自殺してしまった。
ハーヴェイ・ワインスタインの蛮行にそっくりで、氏への告発を扱った『SHE SAID』と同じ年の制作という点に時代性を感じた。
現実には映画よりも吐き気を催す邪悪な事例が沢山あるんだろうな。。
(※クリスタの亡霊が作中で何度か映るらしい。
なんだか主人公が「過去」から復讐を受けるような内容で、映画全体に死の気配が漂ってて、ハネケの『隠された記憶』を観た時と近い気持ちになった)
[例2]
子供に対しても容赦なく権力をひけらかして脅しつけるリディア。
[例3]
すごく厭な気分になったシーン(演出として最高という意味)があった。
リディアの、秘書に対する粗雑な扱い。
「お茶がないんだけど?」
「あなたのパソコン貸してよ」
などの発言️/態度が本当に厭。
仮に「こきつかってやるぞ」などの分かりやすい悪意があればまだ御しやすい気がする。
リディアのタチが悪い点は、そういう悪意が一切なさそうなところ。
大きな権力を握って狂ってしまったリディアにとって、他者を雑に扱うことは自然すぎて「相手に失礼かも」とか全く浮かんですらいないんじゃないか。
自分以外の人間が風景とか駒にしか見えていない。
悪徳政治家のような醜さを感じた。
[例4]
ソロ奏者を選ぶ基準が公平でない。
--------------------------------------------------------------
②【権力者の孤独を描いた作品】
中途半端な存在でなく、圧倒的なカリスマ性と実力を兼ね備えた存在だからこそ、リディアの孤独感が際立つ。
リディアに近寄る人々の多くが損得だけで彼女と関わっており、正しく「虚栄」を体現している。やるせない。
[例1]指揮者志望でリディアの秘書もやっている女性
重要なポストに任命されないと聞かされた途端にリディアを見限り、彼女の元を離れてしまった。
(このへんかなりうろ覚え)
[例2]
例:リディアに気に入られたチェロ奏者の女の子オルガ。
→クリスタ自殺に関するスキャンダル浮上によりリディアの人気が凋落し始める。
するとオルガは現金なもので、「利用価値がなくなった」と判断したのか、すぐにリディアへの興味を失ったっぽい。
リディアの著書リリースイベントに遊びには来たものの、スマホとかいじってるし。
※アントニオーニ的な演出
上記の女性たちはメインの出演者だけど、リディアとの縁が断たれて以降(彼女たちがリディアへの興味を失った途端)パッタリ画面に映らなくなる。
--------------------------------------------------------------
③【求道者/芸術家の狂気】
「人間性を捨て去り冥府魔道に入ってしまった芸術家の狂気」モノの映画でもある。
『TAR』や『セッション』『ブラックスワン』『オールザットジャズ』などの主人公が目指す境地は、「他者への共感能力」を始めとする人間性を捨て去ることで、初めてたどり着けるのかも知れない。
主人公が芸術家ではないものの、『市民ケーン』『ゼアウィルビーブラッド』ひいては『プラネテス』後半の展開などにも通じる悲壮感。
--------------------------------------------------------------
④【精神崩壊ホラー】
クリスタが原因なのかリディアは神経を病んでおり、雑音に対して過敏になっている。
リディアの神経質さを表現する不穏なSEや描写がとても印象深い。
例:
生徒の貧乏ゆすり
インターホンの音
ノック️の音
ランニング中に聞こえてくる叫び声
ペンをカチカチ鳴らす音
など。
演奏シーンを除いて劇伴が抑えめなのは、リディアの意識に介入してくる音を強調するためかも。
ポランスキーの『反撥』もなんとなく思い出した。気が狂う女性主人公とか、狭い通路を歩くシーンとか。
登場人物が体験している出来事=映画の鑑賞者が観ている物語が、現実か妄想か分からない、という映画は枚挙に暇がない(※)。
でも権力者がそういう状況に陥る作品は初めて観たから新鮮だった。
ところで公園ジョギングのシーンで聞こえるあの叫び声は『ブレアウィッチプロジェクト』のサンプリングらしい。へ〜。
少ないBGMの中でも、視聴者に不安な印象を与えるようにうっすら流れるパッド音が印象的だった。
(※)例:
『カリガリ博士』
『ジェイコブズラダー』
『トータルリコール』
『インセプション』
『ビューティフルマインド』
『ネオンデーモン』
押井守の作品
今敏の作品
など
--------------------------------------------------------------
⑤【その他の印象深かった点】
(1)脚本の緩急
中盤まで、リディアが頂点を極めてバリバリ活動してる描写がたっぷりたっぷり続く。
しかし、リディアの名声に凋落の兆しが見え始めてからは、あれよあれよとスピーディに転げ落ちていく。
特に終盤、リディアにとって重要な出来事を大胆に削ぎ落とす編集がとってもユニークだった。
例:リディアが解雇されるシーンが直接的に描かれない。
例:ベトナムに移動することを決意したり、移動するシーンがほぼない。
栄華を極めた自分の落ちぶれっぷりにリディアがショックを受けてる描写はなく、すぐに頭を切り替えてる。
少なくともそう見えるように演出、編集されている。
遠い昔に感動した指揮者の演奏と思しき映像をリディアが久々に見返して泣き、初心に帰る(?)描写が少しあるくらい。
(2)カメラワーク
固定ショットを中心に移動ショットを交える長回しが多用され、緊張感が途切れない。
(ブランシェットの演技はもちろん、編集が最小限であることも視聴者にリアリティを感じさせる大きな要素になっている)
また、冒頭から終始リディアを遠巻きに眺めるような画角が多い。
カメラが彼女を監視しているような印象を与える一連の構図は、音と同様にリディアの不安感や神経過敏の演出に寄与している。
特にリディアが劇場の客席で知人から「あなた告発されたみたいよ」と告げられる様子を、彼女の後ろ10mくらいからこっそりカメラが覗き見しているシーンで不安な気持ちになった。
脚本と同じくカメラワークによっても、人物の感情のダイナミズムや演劇性を意図的に抑制しているのだと思う。
--------------------------------------------------------------
⑥【分からなかった点】
■ラストシーンの解釈
クラシック音楽というハイカルチャーの頂点から転げ落ちたリディアは、現在ポップカルチャーの分野で、音楽へのリテラシーが低いお客さんが消費者のステージで指揮者をやっている。
(1)「リディアは自らの権力に足をすくわれ尾羽打ち枯らしたものの、心を入れ替えて再スタートを果たしたのだった」というポジティブなメッセージなのか。
(2)「どんなに頑張っても才能があっても、権力に踊らされれば、リディアみたいに自業自得で見すぼらしい顛末を辿るぞ」という教訓を含んだメッセージなのか。
どちらにせよ、転落後のリディアの心情は明示的に描写されない。
リディアが淡々と新しい環境や仕事に順応してるように見せる、即物的でドライな脚本が特徴的。
風俗店(?)から飛び出してゲボを吐くシーンがヒントになりそうだった。
本作の重要なモチーフであるマーラー交響曲第五番と同じ「5」という札をつけた女の子と目が合うシーン。
せっかくベルリンから遠く離れたベトナムに来たのに、偶然に目にした「5」でショックが蘇ったのかも。
「自分が犯した罪や過去からは逃げられないぞ」というホラー要素を感じた。
もっぺん観たい!