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TAR/ターのumisodachiのネタバレレビュー・内容・結末

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます



世界的な成功を収めている女性指揮者リディア・ター。ベルリンフィルを率い、ジュリアード音楽院で教え、妻と可愛い養女と豪邸に暮らす彼女は人生の成功者そのものに見えた。しかし、過去に指導した若手指揮者の告発や過去の発言の流布によってその立場は危うくなり……。

怪作!

圧倒的な存在感とカリスマ性を放つリディア・ターを演じるのは泣く子も黙るケイト・ブランシェット。完璧な容姿に強烈な才能を兼ね備えたリディアは向かうところ敵なしの様相だ。

本作はインタビューで幕を開ける。彼女のプロフィールやそれについての彼女の考えが語られ、その後も色々な人と会話する中で少しずつ状況が明らかになっていく。しかし、すべてはわからない。不穏な要素が少しずつ加わっていき、終盤はさながらスリラーなのだが、それでも完全な真実は明かされないというつくりになっている。

当然のことながら、リディアは音に取り囲まれている。音楽も、生活音も、自分のリズムを乱すチャイムも、悪夢の中で苛まされる不快な音も、すべてがとてもクッキリと表現されているので、ぜひ劇場で観てもらいたい。

天才が人格者とは限らない。私自身、仕事で関わった多くの才能豊かなクリエイターが人格的には致命的な欠陥を持っていて悩まされた、という経験が数多くあるので、本作を観る前はリディアもそういった「人格破綻モンスター」なのかなと思っていた。いきなりキレて手が付けられなくなったり、急になにもしなくなったりするような。しかし、違った。

リディアは人格破綻者とまではいかず、発言は理路整然としていて知的だ。仕事をすっぽかすなど不真面目な点もまったくない。ただ、絶対的な自信と頂点に立つ者の奢りから、他の人の扱いが雑になってしまったり、注意すべき点に注意を払えなくなっていたり、反射的に保身に走って他人を蔑ろにしたりする。端的にいうと不器用で、偉ぶったイヤなやつだ。優秀なブレインがいれば回避できることも、面倒に思うのか変な気遣いからなのか、本来はブレインの役割であるはずの妻に秘密にしているのでどんどん深みにはまっていってしまっている。

SNSであっという間に炎上してしまう現代において、「爪の甘さ」は致命的。印象的なジュリアードでの長回しシーンも、リディアの言っていることが間違っているわけではないが(ただ、政治的な観点からみると図式を単純化しすぎているきらいはあるし、生徒の主張をあまりに表面的にしかとらえていないという問題はある)、明らかに言いすぎて相手に対して失礼な侮辱レベルに踏み出してしまい、そこが切り取られる。

女性に対する性的な興味をすぐに抱いてしまうのも欠点なのだが、実際には手を出していなくても、そんな雰囲気を感じさせるだけで裏の意味を読み取られてしまう(実際、それまでさんざんお手付きしてきたんだろうけど。それこそプレイボーイの男性アーティストなら掃いて捨てるほどある話だ)。そう周囲に感じさせるだけ、誤解させるような行動自体を取るだけでも現代では命とりなのだ。

彼女を権威主義的だという感想も見かけるが、私はあまりそういう印象は持たなかった。もちろん、いまの自分の地位にすさまじいプライドを持っていてその権限を振りかざしているという点においてはその通りなのだが、本来そういう人ではないのではないか?

リディアは、相手に対する距離の取り方がバグってしまっていて、やりすぎたりやりなさすぎたりしてしまうものの、一貫して音楽に対してだけは誠実だった。純粋に良い音楽を表現しようとしており、現代音楽に対する理解もあればYouTubeなどに対する偏狭さもない。実家にはバーンスタインの番組のVHSが今も大切に保管されていて、彼女自身の専門も民族音楽だったようなことを言っていた(最初のインタビューでそう言っていたと思う)。音楽に対しての姿勢だけは常に開かれていた。

また、あまり描かれてはいないが女性(かつレズビアン)としてあの地位まで上り詰めた苦労もあっただろう。実家で呼ばれる名前が「リディア」ではなかったこと、女性専門のプログラムを創設したこととそれについての議論、シャロンとの過去にまつわる会話などに少しだけその片鱗が感じられる。元々は弱者として偏見や搾取に苦しみながら今の地位にたどり着いたはずが、今度は強者として搾取する側だと見られてしまい、自分自身もそのようにふるまうことに対して麻痺してしまっているという構図がある。

こういったことを踏まえると、最後のアジアでのシーンは私としては納得がいくものだった。マッサージ店だと思って行った店が売春宿だとわかったときの嫌悪感(搾取される側としての苦しみ)、それまで常に開かれていたリディアの音楽に対する姿勢を体現したようなステージ(ゲーム音楽)は、彼女が本来の自分を取り戻したのだと感じたし、すべてを失ってからの再出発には違いないが、リディアにとってそれは不幸ではない(彼女自身も最後の時点ではそう感じていない)のではないだろうか。

すべてをコントロールしているつもりでいたリディアがどんどんペースを乱されていく様子や、後半一気に不穏に転じる構成も非常にエキサイティングだった。実在の指揮者や作曲家の名前がバンバン出てくるのも楽しかったし、おそらく実際に天才だと思われるチェリストの演奏も良かった。ちょっとしか出てこないのに、毎回気の毒だった変な髪形のマーク・ストロングも必見!

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