じゅ

TAR/ターのじゅのネタバレレビュー・内容・結末

TAR/ター(2022年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

ひー
ドイッチュはわからんて

あとマックスくん激しい貧乏ゆすりまじでやめろ。くそ苛つく。
あるいはくそ苛つくのはぐうの音も出ないほどの指摘を受けてユーファッキンビッチ言ってふてくされて教室を出て行くその態度か。


まじでむずかった。どう捉えたらよい?
とりあえず内容としては、輝かしい功績を積みまくった指揮者リディア・ターが、元教え子(?)のクリスタの自殺と告発を境に転落してくようなかんじだったと思う。やがて助手のフランチェスカが去って、恋人のシャロンともどうやら別れ、自分を慕っていた者たちは皆離れて行って、自宅で奏でていた音楽は騒音と言われ、リディアは独りになる。拠点をドイツのベルリンからアジアの某所に移し、細々と指揮者業を続ける。


作中に不思議な演出がいろいろあって奇妙な気持ちだけど、一旦置いといてぱっと思い浮かんだこととしては、いわゆるキャリアってやつを潰すことについての観点があるのかなと思った。意図的であるか否かとか悪意の有無にはあんまり依らない形で。

まずリディアが他者のキャリアを潰す話。
リディアが設立したか何かの音楽関係の志望者を育成するプログラムで、マックスという学生がバッハをその人間性ゆえ聴かないと主張していて、そういう本質じゃないところで判断してたら指揮者としての感性が鈍るよみたいなかんじでリディアに言いくるめられて、マックスが逆上して出て行く場面があった。あれでもしかしたら彼の音楽家としての1つの道が潰えたかもしれない。まあそんなことで潰えるなら潰えとけと思うけど。
楽団では副指揮者のおっちゃんを切ってた。そろそろどっかの楽団員で副じゃない指揮者をやることを考えてはどうかとか、故郷を離れたくないという願望に対しては指揮者は指揮台が故郷でしょとか、よくぞまあそんな次々と上手いこと言えるなってかんじの御託を並べて、向こうが取り乱して人格攻撃してくれば待ってましたと言わんばかりにそんなんなら辞めちまえと。
で、副指揮者のおっちゃんの後釜の座はフランチェスカ・レンティーニにとってまたとないチャンスだったかもしれないけど、結局リディアは別の人を任命した。そりゃあまあ実力と経験の世界なのかもしれんけど、フランチェスカだってたぶん自分が鍛錬を積む時間を犠牲にしてリディアに尽くしてただろうにな。鞄持って一日中メール打ってスケジュール管理して移動手段の手配して。
あと、チェロだったかのソロの人を決めるためにオーディションをやってオルガ・メトキナを選んだ。真っ当にいけばこの人になるっていう奏者がいたけど、彼女は選ばれなかった。
そして、クリスタという人物の件。死亡記事が出て市民が騒ぎ出すくらいには有望で有名だったようだけど、どこにも雇ってもらえなくなったらしい。リディアも彼女を拾わなかった。リディアとフランチェスカとこのクリスタで仲良しだったらしいけど。
まあ、私情は切り離すべきだろうし、実力を見て役割を与えるべき人に与えて与えないべき人に与えず、自らの音楽を高みに持っていこうとしていて、リディアは間違いなくプロフェッショナルだったと思う。切るべき人は切って拾うべき人は拾うのは彼女の為すべき仕事の一部だろうし、オルガとか新しい副指揮者とかキャリアが開けた人が確かにいる。ただ、キャリアを潰された人がいたのもまた事実。

それと、リディアが他者にキャリアを潰された話。
クリスタが自殺して、彼女の両親から告発されて、さらには音楽家育成のプログラムの講義で冗談混じりで話した内容を動画で撮られて悪意満載で編集されて拡散され、ついに彼女の周りには誰もいなくなって、音楽の最高峰の地(みたいに評した)ベルリンを離れてアジアのどこかで細々とやってくことになった。(あれが冒頭のイベントで一度話に挙がった客演指揮者というやつ?)

リディア・ターはなんでこの業界の頂点みたいな座を降りることになったんだろう。エリオット・カプランにとっては彼女が率いていた楽団で指揮棒を振ることになって儲けもんだったかもしれんけど、そこはまあいいや。元々リディアがあの地位にいたこと自体彼女の妄想だったんじゃないかとすら思うほど夢(それも悪夢)みたいな演出がなされてたけど、妄想と思うには筋が通り過ぎてるような気がする。だから、彼女は本当に音楽業界の高みにいて、本当にそこから転落したんだと思ってる。
クリスタの死と告発がリディアの人気を地に堕とした?あるいは単に時代に必要とされるには古い人間になった?
そりゃあリディアの燃え上がり方を見れば燃え移るのを嫌がって離れたくもなるだろうけど、そういう観点とは別で、作中でリディアが古いものを軽んじるかんじの発言をしていたから、そんな文脈でリディアも古く軽んじられる側になったのかなと。例えば、男女を分ける半ば無意識的な慣例とか、業界で名前すら挙がらなくなった恩師のアンドリス・デイヴィスとか、先人が遺したものに囲まれながらやる新入りさんとのお食事とか。

なんか、キャリア云々とか、埃の被った古いもんを軽んじるとか、リディアが他者にやったことが返ってきてたかんじする。


そんなことより、奇妙な演出の数々は何だったんだろう。
しばらく鳴り続ける呼び鈴、ランニング中に聞こえた悲鳴、オルガが住む集合住宅の地下に現れた何か、差出人不明の『挑戦』なる本と夜中に何故か動き出したメトロノームと失踪したフランチェスカの家に散乱していた紙に描かれていた幾何学模様、アナグラム、どこからか撮られているビデオチャットと講義の動画、消えたVの楽譜、あと、黒い背景でぐねぐねするのと湿地帯みたいなところでベッドに寝転がって胸部が燃え上がる夢。

わかんねえならとりあえずパンフレット開いとけってかんじで一通りざっと読んでみた。本作は権威とか権力についての話だ、みたいなことがトッド・フィールドとかケイト・ブランシェットとかいろんな人のコメントで言及されてた。誰かの権力を作り出す組織の構造とか、権力者を権力者たらしめる人間関係とか、権力を持つことがいかに魅惑的であるかとか、オーケストラというものがそんな権力構造の比喩であるとか。
あとはリディアが顔にごっつい怪我をしたことについて『ベニスに死す』に重ねて解説してたのとか、音楽業界の歴史とか特にベルリンの業界のユダヤ人排斥から元ナチ党員排斥の過去とか、オーケストラの社会的な役割とか、興味深かった。
あと主演したブランシェットはリディア・ターについて、最高の音楽を作り上げるために上辺を嘘で固めているけど一段高みに行くためには一度転落する必要があると気付いた、みたいなこと言ってたか。

一度転落する必要があるというのは、権力で濁った魂を一旦洗い流す必要があるみたいなことだったのかな。
リディアって、いつしか音楽家としての自意識より権力者としての自意識が支配的になってったわけだ。たぶん。オーケストラを私物化してるとかっていう指摘もパンフレットのどなただったかの記述にあったけど、フランチェスカの扱い方にもそんなかんじが無意識に現れていた気もする。ただ、これまた意識的か無意識的か、後ろめたさみたいなのもあったんじゃないか。特にクリスタという人は自死うんぬん以前から後ろめたさの象徴のような存在だったんじゃないか。俺らが彼女の姿を正面から見れなかった(ネットの死亡記事でやっと映ったくらい)のは、リディアが蓋をしていたというか、背を向けていたような態度を表していたかもしれない。
もしかしたら、後ろめたさ故に生じる、誰か(あるいはお天道様みたいなの)に見られていたり尾けられていたりするんじゃないかっていう感覚が、あの呼び鈴なり、オルガが住むところの地下に現れたあれだったり、わりかし至近からのアングルで撮られていたりしてた演出に乗せられていたのかもしれない。背を向けようが消えない、自分がクリスタという若い才能を潰すのに加担したという意識が、ランニング中に聞こえた女性の悲鳴の演出に乗せられていたのかもしれない。
たぶんどれも、権威の頂点みたいな位置のオーケストラのしかも主席指揮者とかいう権力者の中の権力者みたいな最高に心地よいポジションに居座っていたかったからなのかも。そんなポジションから一度退いて、また純粋に音楽と向き合い直すのがリディアにとって更なるステップアップの道だったのだ、とブランシェットは言ってたのかな。
その解釈ならあの最後はなかなか前向きな幕引きだったのかもしれない。俺は元々、冒頭の講演会(?)でリディアが話に挙げていたような女性指揮者と同様に、実力を持て余すような地位に引き摺り下ろされた厳しい終わり方だと思ってたけど。

あとは自ら作曲した楽譜のVが消えたのは、「For Sharon」と記して妻シャロンのために書いたような曲をオーケストラでやろうとしていたのがまさにオーケストラの私物化という権力の濫用だってことで、そんなところの無意識的な自覚の演出だったりしたのかなとか思ってる。
アナグラムはまあ、表に出すわけにはいかなかったけど胸の奥に抱いていた気持ちといったところだろうか。リディアの「Krista」→「at risk」とか、フランチェスカの「Tar on Tar(リディアの著書)」→「Ratなんとか」とか。rat(ネズミ)って、改めて調べたら裏切り者とか卑劣漢とかって意味もあるのだと。
幾何学模様はわからん。共通点は差出人不明の本、メトロノーム、消えたフランチェスカの家の落書き。本の内容は知らんのだけど、たぶん関係あるのかも。本はクリスタが差し出したかもしれない。だとすればリディアに裏切られたと思う者の何らかの主張だろうか。メトロノームは何だろう?冒頭で話していた内容で、質問者が指揮者は人間メトロノームとして以外の役割はあるか(全然文脈を覚えてないけど「人間メトロノーム」っていう訳語は覚えてる)みたいな話になって、対してリディアがメトロノーム以外にも曲を解釈して音の強さとか間とかを演奏者に指示する役割がある的なことを言ってたっけか。もしかしたら、かつてリディアがクリスタを「人間メトロノームに過ぎない」みたいなこと言って突き放したのかも。
リディアが見ていた夢はまあ、後ろめたさとか不安の表れってことなのかな?ああいうのってその道の研究職の人に取材とかして夢の中の情景とか状況を作り上げるんだろうか。いい画だったな。


というか、最初の製作・配給会社のロゴのとこでなぜかユニバーサルのやつが古の映像になってて、めっちゃ久々に見れてうれしい。劇場のスクリーンであれ見れるとは。
じゅ

じゅ