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モリコーネ 映画が恋した音楽家のshunsukehのレビュー・感想・評価

4.0
少年期から音楽を浴び浸ってきた私だが、この映画を観て、改めて音楽が人間の本性に深く結びついて、その感情を動かしたり、記憶を呼び覚ましたりする強い力を持つことを実感した。それは、匂いにも通じるが、それとの決定的な違いは、人がそれを再現できるということだ。映画の中で、モリコーネを始め多くのインタビュイーがモリコーネの旋律を口ずさむ。そうして記憶の中のそれを人と共有する。共有されたそれはその人の頭の中で単線の旋律から複雑に音が重なる楽曲として再現される。そして、その人の心を動かす。この映画でいくつもの映画のシーンが短く挟まれている。不思議なことにそれが観たことがない映画でも、私の感情が勝手に反応して何度も涙ぐんでしまった。もし、これが音楽がなく映像と台詞だけであればこうはならない。音楽の強い力が作用しているのだ。この映画がそれを証明してくれている。
モリコーネは「散文」と「詩」を融合させた、とこの映画ので語られている。散文=映像、詩=音楽とうことだろう。1970年代の後半から映画に親しんできた私にとって散文と詩が一体になったものが映画であることは当たり前だったが、それはモリコーネ以前にはなかったということだ。芸術の一ジャンルのあり方を決定づけた彼は、間違い無く偉人であり、天才である。しかし、映画において、映像=主、音楽=従、というような彼と世の中の認識のもと、それを彼がやり続けるべき仕事として信念を持てない時期が長かったことは不憫だ。それだけに、彼がオスカーを手にし、その時、彼を仕事を支えてきた妻への感謝の言葉を述べたシーンは感動的だった。
印象的なのは、年老いた彼が頭の中で流れる音楽に合わせて棒を持たずに指揮する手である。それの流麗さは美しさを極めている。それは彼の表現者として全身で音楽を伝えようとする根源的な欲求がなせる技なのではないか。
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