えるどら

仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルのえるどらのレビュー・感想・評価

3.5
賛否両論あるのもわかる。
だがこの映画のやりたかったこともわかる。
『カタルシスと残念感と掴む腕』

ようやく視聴。
オーズの物語を終わらせたくなくてずっと先延ばしにしてました。
そもそも私は「いつかの明日が来ることだけ確定してて、映司はそれを希望に旅を続ける」というオーズの在り方がすきだったので、その旅に終わりが来ること自体が解釈違いだったわけなので…。
世論、というかファンの間でこの作品の感想がなかなか荒れているというのは知っていました。
だから見るのが怖かった。

結論として、個人的にはまったく無しではないんじゃないかと思いました。
勿論、突然のレジスタンス設定や、雑に盛り込まれる原作の台詞、オマージュという名の適当展開には辟易しました。
10年経ったキャストで同じことさせてエモいでしょ、とはならんのですよ。

しかし小さな要素は残念感が拭えないとしても全体で見ると筋が通っているのではないかと思いました。
本作の始まりは「映司が最後にもう一度アンクに会いたいと願った欲望がメダルの破片をくっつけた」ことです。
この映画自体がまさに火野映司の欲望そのものによって生み出された映像なのです。
そして本作のやりたかったこと、「アンクが映司の身体を助けるために奔走する」「映司の身体にアンクが乗り移る」「ふたりでタジャドルの変身音声を叫ぶ」という当時の対比を思えばそれほど悪くはないのではないかと思うんです。
映司は、自分がアンクから貰ったものを、アンクに返したかったのかもしれません。
タジャドルの力を、そして命を。

この映画を一言で表すと「火野映司の旅の終わりの物語」です。
映司が死んで終わる、というオチはとてもショッキングです。
しかしオーズの作中では、欲望の対義語は「無」とされています。
欲望を叶えた映司の行きつく先は「永遠の無」、つまり死なのでしょう。
映司は自分の欲望を叶え、少女とアンクと仲間を救い、その旅を終えたのです。

こうして考えると、この「復活のコアメダル」という物語は「映司が死の直前に見る走馬灯」のようなものなのかもしれないと思いました。
やたら本編になぞらえたシーンも多かったですし。
こんな副題が付いているから勘違いしそうになりますが、復活のアンクではなく、終着の火野映司です。
オーズの完結編として、「主人公・火野映司の最期を描く」というのは妥当どころか当然ではないでしょうか。

言いたいことはたくさんあります。
もっとこうして欲しかったという気持ちもわかります。
小林靖子エディションの完結編を見せてくれと心の底から願ってます。
それでも、「復コア」の終わりもひとつだなと思えました。
火野映司の最期、その走馬灯を垣間見れて良かったと思えました。

あと、この30年後にアンクが過去に飛ばされて映司と再会できるのエモくないですか?
今まではアンクがいなくなった映司が時空を超えてアンクと再会する話だったのが、映司がいなくなったアンクも時空を超えて映司と再会する話にもなるんですよ。
お互いにお互いを失った状態で再会することになるのは、面白いなぁと思うんです。

というわけでオーズの物語は終わりました。
いつかの明日を願う日々も終わりました。
えるどら

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