ずどこんちょ

劇場版TOKYO MER 走る緊急救命室のずどこんちょのレビュー・感想・評価

3.5
事故や事件が起きた時に治療を必要とする患者がいて、現場から治療にあたるまでの時間をいかに短くするかが、その後の命を左右するとも言えますが、ERカーはその最高峰。
医者を現場まで運び、医者が災害現場で治療やトリアージを即座に行います。必要があれば、ERカーの中で緊急手術を行うこともできるのです。
医者が待つ病院へ運ぶのではなく、医者を現場へ運び、治療を施すのが都知事直轄の救命救急組織、「TOKYO MER」です。

連ドラ版からスペシャルドラマを経て、遂に劇場版。
連ドラ時代から事故や災害での救命救急を描いたテーマは映画向きだとは感じておりましたが、やはり見応えがありました。
圧巻だったのが冒頭シーン。
冒頭から飛行機の不時着炎上事故が発生していて、映画になったスケール感の変化を感じさせます。この事故一本だけで映画化できるレベルの大規模事故です。

「TOKYO MER」はその性質上、死者を生み出さないことを至上命題としていて、この日も百戦錬磨のチーフドクター、喜多見は取り残された乗員乗客たちを救命するため炎上する機内に飛び込みます。
真っ暗で煙がたちこめ、あちこちで助けを求める災害現場に喜多見医師が現れて、「安心してくださーい!」と医師が到着した第一声を発するのが、いつも本当に希望を持たせてくれます。
緊急手術が必要になった時でも、喜多見はいつも心配そうに見守る家族や患者に笑顔を向けて「大丈夫」と励ましてくれます。
鈴木亮平演じる喜多見の笑顔を見ると、たとえ重傷を負っていても本当に大丈夫になるんだと思わせてもらえる。俳優・鈴木亮平に医者の信念が憑依していて、すごく安心感を感じさせられるのです。
鈴木亮平の演技力はもう連ドラの初回から通して変わりません。専門的な用語が多い医療シーンで早口で捲し立てる緊迫したシーンも、その直後に患者に向ける笑顔も、メリハリが効いているのが本当の名医のように感じさせます。

そんなTOKYO MERが今回対峙することになるのが、YOKOHAMA MERの面々です。
YOKOHAMA MERは全国の政令指定都市に広めようとしている厚生労働省直轄の救急救命組織の1チームで、今回全国に先駆けて施行的に稼働し始めたのです。
そこには厚生労働大臣の総理の席へと繋げるための思惑があり、ゆくゆくはTOKYO MERさえも都知事から奪い取ろうとする算段が見え見えでした。

ただし、厚生労働省はTOKYO MERのシステムそのものは評価しつつも、喜多見チーフの医療方針に関しては否定的です。
医師は医師であるゆえに、危険な現場に赴く必要はない。災害現場の最前線で救助されてくる患者の治療にあたることを至上命題とする、としているのです。
燃え盛る飛行機の機内に突入するようなリスクは医師が負うべきではない。
まぁ、官公庁が取り仕切るまともな組織であればごもっともなご意見なのかもしれません。

TOKYO MERの喜多見チーフが、「待っているだけでは救えない命がある」と主張するのに対し、YOKOHAMA MERの鴨居チーフは「待っていないと救える命も救えない」と主張します。
真っ向から対峙する2チーム。いずれも人の命を救うという点では協働しているのですが、それぞれの立場と思惑が違うため、その接触は冷や冷やしてしまいます。

そんな2チームが対峙した現場が、横浜ランドマークタワーの高層ビル火災です。
人為的な放火による大規模火災なのですが、高層階に人々が取り残されてしまいます。その中には偶然にも妊娠中の喜多見の妻、千晶も。
そんな現場の指揮を取るのが、厚生労働省のMER推進統括官となった音羽でした。

賀来賢人演じる音羽は医系技官であり、かつてはTOKYO MERに派遣され、共にチームで救急救命していた喜多見チーフの相棒的存在なのです。
クールな音羽はMERにいた頃も、当時の厚生労働大臣からの密命で内部からの崩壊を任務としていたため、どこか彼らとは距離を置いた立場で心を通わせていましたが、次第に音羽はMERへの理解を示し始めていました。
鴨居からなぜTOKYO MERを擁護するのか尋ねられた時、音羽の頭の中にあったのはやはり、喜多見チーフの亡くなった妹、涼香の存在だったのです。

あるテロ事件に巻き込まれて亡くなった涼香は音羽にとってもかけがえのない存在でした。
彼女が亡くなった時、そしてその失意を乗り越えた喜多見チーフを目の当たりにした時、音羽はMERの存在意義を確信したはずです。

かつて鴨居に夢を語っていたように、音羽は日本で平等に医療を受けられる現場を作るために医師免許を持ちながら厚生労働省に入省しました。
MERなら、どんな現場に入っても経済的な差異や立場の違いで治療の差が開くことはありません。災害現場はいつも命が平等に扱われるからです。
トリアージを行い、治療を施す必要性の高い順から治療を施す。
それを先駆け的に実現してきたのがTOKYO MERであり、更に危険を顧みずに目の前の命を救うために飛び込む喜多見チーフがいたから、これまでも多くの命を救い続けてきたのです。
音羽にとって、TOKYO MERは救急救命の形を変える希望の光です。
もはや涼香のような犠牲者をこれ以上生み出してはならない。

だからこそ音羽は、厚生労働大臣の意思に背いて、YOKOHAMA MERに喜多見チーフらの支援を命じました。
建前では人は救えません。やはり待っているだけでは救えない命がある。それをよく知っているのは、音羽がかつて現場で直視してきたからに他なりません。
厚生労働大臣から指揮官のクビを言い渡された音羽は喜んでMERの制服を着て現場へと駆け付けます。やはり彼は根っからの救急救命医なのです。

ところで千晶と喜多見チーフは高層階から中層階まで降りてきましたが、火の手に道を阻まれ、ついに孤立してしまいました。
身重の千晶はこれ以上は進めないと、赤ん坊を帝王切開で取り出して二人だけで逃げてくれと喜多見に頼み込みます。
かつて涼香を亡くした喜多見にとってはあまりにも辛すぎる選択です。もう二度と大切な人を失わないと誓っていたはずなのに、なぜ神はこれほどまでに残酷な試練を与え続けるのでしょう。

「TOKYO MER」は連ドラ時代から何度も窮地に立たされ、いよいよこれは諦めるしかないのではないかという状況下で、必ず助けの手が入って感動を呼びました。
毎度毎度お馴染みのパターンなのですが、今回はさすがにもうダメだと感じさせられます。
絶体絶命の大ピンチ。あぁ、劇場版は連ドラのように一筋縄ではいかないのだなと諦めかけたその時、やはりお馴染みの希望の光が訪れるのです。

孤立無援でどうしようもなくなり、これは諦めて死ぬしかないのかと力尽きかけた瞬間、多くの助けの手が入るのは本当に生きる喜びを実感させられて感動します。
皆が手分けしながら脱出ルートを作り出し、一人ではなし得なかった救助もいとも簡単に乗り越えてしまう。
人は人に生かされているのだと改めて感じることができるのが、本作で描かれる救命現場なのです。

そのためには多少都合の良い展開も多いのは大目に見てください。
それまで負傷して動けなかったレスキュー隊全員が急にムクムクと起き上がり始めるのは「いやいや…」と思ったし、冬木先生がランドマークタワーの70階まで階段駆け上がって来れるとは思えない……
ですが、人は人に生かされているからこそ、いつも以上の底力が発揮されていると考えれば良いでしょう。
「火事場の馬鹿力」はこのシリーズには存在します。

万が一、災害現場に遭遇することがあった際には我先に出口へ殺到する一員ではなくて、自分も人も生かすための一助ができる人でありたいものです。