シズヲ

ケイコ 目を澄ませてのシズヲのレビュー・感想・評価

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
4.1
生まれつき両耳が聞こえない聴覚障害を持つ女性ボクサー、ケイコの物語。ゴングの音も、レフェリーの声も、ましてやトレーナーの指示も届かない。彼女は常にリングの上で孤独を背負って戦う。

口を殆ど利けないこともあって、映画の中でケイコは寡黙で表情の変化に乏しい。それ故に観客は“周囲の人々”と同じようにケイコを見つめていく。そんな中で僅かな所作や表情から表現される心の機敏が印象深く、寡黙であるからこそケイコが時折見せる笑顔にも不思議な安心感がある。そしてケイコの周囲にはしっかりと理解者や優しい人達がいることにしんみりしてしまう。

無音の世界を表現するために際立っている“音”の存在感。ミットを打つ音、手紙を書くペンの音、街中を行き交う雑多な音など、本作における音響はある種の呼吸を伴っている。BGMが徹底して排除された作風の中で、淡々と響き渡る環境音こそが映画の“静寂”を作り出している。音こそが無音を生み出すという矛盾のような作劇的演出が印象的。

環境音が際立たせるのは静寂だけではやく、ケイコが生きる“日常”もまた音の存在感によって切り取られていく。淡々と映し出すようなカメラワークと共に映し出される“街”の風景と、その中に溶け込むように佇むケイコの姿。古びたジムや郊外の町並みなども相俟って、彼女が確かに“そこに居る”ような生々しさがある。

淡々とした物語の中、心の奥底で不安や動揺に直面するケイコ。アウトサイダーであるが故に“恐怖”と“喪失”が大きく伸し掛かる。物語は登場人物について決して多くを語ることはなく、静謐な演出で彼らの姿を示していく。それ故に終盤で断片的に描写される“ケイコの日記”やリング上での“叫び”が一種のカタルシスを生み出している。

居場所を失い、敗北を経て、それでも今日は続く。前を向いて“生きていく”ことを選ぶラストの余韻が味わい深い。そして黙々と街を映し出していくラスト。彼女は今もあの景色の中で息をして、日々を生き抜いている。
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