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ケイコ 目を澄ませての11のネタバレレビュー・内容・結末

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

この映画の中で、私たちがケイコの口から聞くことができるのは、小さくて、少しこもった「はい」という言葉だけ。その理由は、ケイコは、耳が聞こえないため、言葉を口にしないから。それも一つある。だけど、それだけじゃないと思う。ケイコが一人で悩んでいる時、ケイコの弟が、話を聞こうか?と声をかける場面。ケイコはそれを断る。弟は、人間誰も姉ちゃんみたいに強いわけじゃないんだから、と手話で伝える。しかしケイコは、話したところで、人はみな一人だ、と返す。ケイコは、誰かに頼るということはしない。そういう考えは、聴覚に障がいを持っているから生まれるものではない。ケイコは、ただ自分自身と正直に向き合い続けている。自分に正直になれるのは、他人といる時ではない。
人はたぶん、本当に言いたいことは言葉で話してはいない。心の中の、モヤモヤしていて明確にならない気持ちを抱えながら日々を生きている。
日々を生きるというのは、ケイコの場合、朝起きて、ランニングをして、ボクシングの練習をすること、ホテルの清掃スタッフをすることだ。そういう毎日を繰り返す。ジムが閉鎖になった時、その先のこと、遠い未来のことまではわからない。ただ突きつけられる毎日を、言葉にならない気持ちを抱えたまま過ごしていく。
ケイコは、人は一人で生きていくものだと思っている。しかし、会長は、そんなケイコの心に寄り添う存在だった。だからこそ、会長が倒れた時、ケイコの心は揺れた。また、弟の彼女がケイコに手話で挨拶をし、その後3人が公園でシャドーボクシングやダンスをする場面。ケイコは笑顔を見せていた。全てを取っ払った時、自分に最終的に残るのは、自分自身だけだ。でも、人間が「一人」という存在になれるのは、「他人」という存在があってこそだと思う。

最初にタイトルを見た時、「目を澄ませて」という意味がわからなかった。「澄ませる」という表現は、耳に使うものだと思っていたから。
映画を見終わって感じたことは、例えば耳を澄ませると、それまでは意識していなかった小さな音、微かな音が聞こえてくる、ということがある。自分の周囲に溢れる音にハッとする。同じように考えるならば、私たちが普段見ている景色も、ぼんやり眺めているだけでは見えないもので溢れているのかもしれない。「澄ませて」見ることで、気づくことがあるのだと思う。だとすると、私たちは、映画の中で、ほぼセリフのないケイコの様子を、ただ目で見ることを通じて一つ一つ感じ取っていった。これは、「目を澄ませる」一つの体験だったと言えるのかもしれない。

最後に。人は本当の気持ちを話さないのでは?とは言ったものの、こうして文字に書き起こしてみると気持ちが落ち着くとも思う。ただここに、自分の考えを何とか書き留めておきたい、記録しておきたい。もしかすると、ケイコが日記を書くのも、そういう気持ちを含んでいるのかなと感じた。そうすることで、自分が自分と向き合っている感覚を得られるのかもしれない。
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