ちーちゃん1996

ケイコ 目を澄ませてのちーちゃん1996のネタバレレビュー・内容・結末

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

映画を観る前に原案を先に読んでしまったからか、モデルとなった小笠原氏の試合をYouTubeで観てしまったからか、この映画への嫌悪感に襲われた。

生まれつき両耳が聞こえないのは実話だと思ったが、モデルの小笠原氏は障がい認定されることも無く聴力があって普通の学校に通っていたと原案で書いてあった。

小笠原氏のジム会長が病気で視力を悪くしてジムを閉鎖したというのもフィクション。

Wikipediaを見たら映画の3戦目で負けた後もジムは何事もなく継続してるし小笠原氏も試合している。小笠原氏が引退した数年後にこのジムからチャンピオンも誕生していた。

原案読むとジム会長が視力を悪くしたのは小笠原氏がジムに入る10年前のことだった。

しかも実際は半グレ集団にバットで殴られて生死の瀬戸際にあったこと。

小笠原氏がジムに入門した頃にはジム会長はリハビリで回復しており、ジムは閉鎖などもなく小笠原氏を教えていたこと。

犯人が捕まらないままこのジム会長は亡くなったそうだが、それを映画といえど虚構してよいのか・・・

あれだけ実名を出して実話を謳ってモデルの小笠原氏を全面に出していながら、主人公の「生まれつき両耳が聞こえない」という前提と「会長が病気でジム閉鎖」というあらすじが実際と違うことに嫌悪感に襲われた。

三宅監督のベルリン映画祭の公式インタビューをYouTubeで観たが、ボクシングジムは豊かでないエリアにあるとか、豊かでない人が住んでるとか、発言しているが、実際にボクシングやってる人からしたら凄い侮辱ではなかろうか。

ボクシングを題材にしてる映画はきまって、これまでも元チャンピオンとか、ボクサー達がコメントを出してるのを見受けられるがこの映画は皆無。

アカデミー賞はじめ国内の名だたる受賞があったのにも関わらずコメント皆無は相当な理由があるのでは。

モデルとなった小笠原氏だけはメディア露出にかなり精力的だが。

障がいのことや半グレ集団にバットで殴られ命を落とすところだったジム会長のことを脚色して映画として世の中に出すことで感動や称賛を得ようとしたのか。

映画のエンドロールで「実在の人物や団体とは一切関係ないフィクション」て出てきたけど、こういう手法は映画という文化から心が離れる。

実際のジム会長は亡くなって死人に口無しで、自身の美意識や自己表現の道具に脚色したのなら、あらためて映画で人を描くということは、監督や脚本、作り手の品格や品性が露呈されるものなんだと痛感した。

歴史は繰り返し過去の手法は模倣されるというが、現代のベートーベンで売り出し賞を総なめした佐村河内守、小泉今日子が自ら降板した映画「新聞記者」、 騒音おばさん「ミセスノイズ」と酷似してみえた。

泣きながら感動を訴え映画の素晴らしさと自身の代表作と誇りプレゼン行脚する岸井ゆきの、役者の矜持から人知れず映画を降板した小泉今日子、二人が対極に感じる。

ボクサー達からコメントすら皆無の三宅唱監督、ボクシング界から賛辞が集まりボクサーから敬意が伝えられた「どついたるねん」の阪本順治監督、二人の品性の違いが晒されたと感じる。

世界が絶賛の最高傑作と自画自賛して賞レースで歓喜し続けているが、映画館を出て虚しさだけが残った。

岸井ゆきのは「この作品には私にとって”映画はこうであって欲しい”というものが詰まっています」とどこまでも誇るが、半世紀以上映画を観続けてきて映画が生きる糧になってきた映画ファンとして、映画の恐ろしさに心が引き裂かれる思いがした。

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