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ケイコ 目を澄ませてのkkkのk太郎のネタバレレビュー・内容・結末

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
2.3

このレビューはネタバレを含みます

聴覚に障害を持つ女子プロボクサー・小河恵子の心情の機微を描き出すヒューマン・ドラマ。

監督/脚本は『きみの鳥はうたえる』やドラマ『呪怨:呪いの家』の三宅唱。

主人公、小河恵子を演じるのは『悪の教典』『愛がなんだ』の岸井ゆきの。

実在する元プロボクサー、小笠原恵子の自伝が原案。この自伝は未読であります。

本作の白眉はなんと言っても、主人公・ケイコを演じた岸井ゆきのさん!!
ドキュメンタリーかと見紛うほどの真に迫った演技は本当に見事。
本作出演にあたり7〜8キロほど増量しボクサーらしい体型を作り上げたらしいが、彼女を捉えたファーストショット、そのカメラが映す広背筋の美しさには息を呑みましたっ!💪✨
この映画を観るまで岸井ゆきのという女優のことを知らなかったので、インタビュー映像などを見てそのギャップにビックリ。普段はあんなに小柄で柔らかい雰囲気の人なんですね。全然ケイコとは違う。やっぱり女優ってすごい!

この映画、掴みが非常に良い。
見事な広背筋を披露した後、ミット打ちに挑むケイコ。
トレーナーのかざすミットに吸い寄せられるかのように、ケイコは標的に向かって正確にパンチを繰り出してゆく。
静寂に包まれるジムに鳴り響くパンパンパンパンパンパンパンパン…という破裂するかのような衝撃音。彼女は脇目もふらずただ黙々とその作業を繰り返す。
この数分にも満たぬ僅かな時間内に、本作がどういう映画で何を描こうとしているのかが端的に表れている。
この瞬間に流れる詩的な感覚。このセンスの良さというのは全映画に見習ってもらいたいほどであります✨

本作で描かれているのはコロナ禍真っ只中の東京。都市開発により目まぐるしく変わる街並みとコロナ禍という一時的な混乱。それがパッケージされた、この時代にしか作れない映画になっている。

マスクによって隠れた口元。口の動きから他者の言葉を読み取らなくてはならないケイコにとって、このマスクはコミュニケーションの大きな障害となる。
コロナ禍という想定外の災厄が、ケイコの苦悩や葛藤を表すアイテムとしてのマスクを齎し、結果としてこの映画のテーマを深めているということは怪我の功名といえるのかも知れない。

詩情に溢れた映画であるし、黙して語らず、伝えたいことは観客が勝手に読み取れというストロングな姿勢には大いに共感する。
…が、いかんせんつまらない🌀
99分というタイトなランタイムでありながら、とにかく長く長く感じてしまった。
観客も目を澄ませていないと、たちまち眠気に襲われてしまうことだろう…😪💤

松山ケンイチ主演のボクシング映画『BLUE/ブルー』(2021)を鑑賞した時にも思ったが、邦画のボクシング映画はボクサーの人生に重きを置き過ぎていて、肝心のボクシング要素に面白みが感じられない。
メンターが病に倒れる、聴覚障害者が登場するなど、ライアン・クーグラー監督作品『クリード チャンプを継ぐ男』(2015)と要素だけを取り出してみると割と似ているのだけれど、映画の味は正反対。
クリードが一種漫画的なボクシングの面白さを提供してくれたのに対して、本作ではまぁとにかく真面目というか辛気臭いというか、ボクシングのジメーっとした部分ばかりがフィーチャーされており、そんなんどうでもいいから「はじめの一歩」ばりにおもろいボクシングを見せてくれよ、なんて思ったりしちゃいました。

まぁこれ『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)みたいなもんで、ボクサー映画であってボクシング映画ではない!ってことなんだろうけどさ。
やっぱりある程度の娯楽性は必要だと思う。どれだけ詩的で美しかろうと、つまんないもんはつまんない。

聾唖者の若者を描いた映画といえば、やはり北野武監督の『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)こそ至高。
自分はこの映画が好きで好きで…。多分邦画の中では一番好きな作品だと思う。高校生くらいの時に鑑賞したんだけど、とにかく一から十まで美しすぎて、あまりの衝撃で頭のネジがぶっ飛んだことを覚えている。
また、ボクサーを扱った映画といえば同じく北野武監督作品の『キッズ・リターン』(1996)がパッと思い浮かぶ。この映画も好きで、特にあのラストシーンは映画史上最高の幕引きの一つと言って過言ではないでしょう。
本作はこの二つを足して二で割ったような映画。…なんだけど、なんで全く面白く感じなかったんだろう?久石譲が居なかったからかな?

とにかく、本作は完全にNot For Meな映画でした。寝落ちせずに完走した自分を褒めてやりたい。
なんだかんだ言っても、やっぱり映画は娯楽じゃなきゃ。

※最後にひとつ。昨今の映画界の流れとして、聴覚障害者は実際の聴覚障害者が演じるのが良しとされている感じがある。オスカー作品の『コーダ あいのうた』(2021)や『エターナルズ』(2021)なんかはまさにそうでしたよね。
これに関してまぁそうだよね、と言いたい部分もある。聴覚障害を持つ役者の仕事を健常者の役者が奪っている、という見方も出来ますから。
しかし、だからと言って健常者が障害を持つ人を演じてはならない、ということになってくるとそれはそれで芸術的自由が損なわれていることになりやしないだろうか?
もちろん、監修や指導者など、映画の裏方には聴覚障害の当事者を配するべきだと思う。ただ、だからと言って表側の役者にまでそれを求めるというのはお門違い。全てはその役をどれだけパーフェクトに演じることが出来るのか、という演技力の問題であり、そこに障害の当事者かどうかというのは関係無いんじゃねぇかな?実際、本作で岸井ゆきのさんは完璧な演技を披露していたしね。

とはいえ本作の制作にあたり一点気になることが。
映画のモデルとなった小笠原恵子さんがこの映画を初めて観たのは初号試写。インタビューによると、その初号試写には字幕がついていなかったらしい。
…いやいや、小笠原さんが観ることは事前にわかってるんだから字幕くらいはつけておこうよ💦そういうとこやぞ!…まぁ詳しい事情はわからないからあんまり強くも言えないんだけどさ。
「字幕がないから邦画は観ないけど、本作で初めて邦画を観て感動した」という小笠原さんの発言もあったが、この「字幕がないから邦画は観ない」という発言について、邦画界はこれからもっと考えていかなければならないのでしょうね。
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