Few

やまぶきのFewのネタバレレビュー・内容・結末

やまぶき(2022年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます


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Twitterに載せた感想文を編集してここに。


 映画『やまぶき』をまつもと市民芸術ホールで観てきた。車で片道2時間もかかって疲労困憊。帰りは雨、霧で、視界も路面も最悪。死ぬかと思うドライブだった。

 サイレントスタンディングをする山吹と男の子。交差点を行く人々の視線が二人に投げられ、それがゆっくりと、さまざまな色をもって映される。私はこのシーンを観られただけで、本作を観られて良かったとおもう。

 一番印象に残っているのは、チャンスが犯した出来事の全貌を、実は誰も知らなさそうだということ。本作において、ここが一番惹かれる。山吹の母が「知らないままでいる方が怖い」という重たい台詞が終盤で発されるなか、個人的で、しかし複数の個人を大きく揺るがしかねない。
 チャンスが大金を手にした出来事のすべては、誰も知らない空気のまま映画は終わった。刑事も、美南もチャンス自身も、よくわかっていない。山吹に関しては何も知らないまま、生きていくのかもしれない。知る、知らないという軸のほかに、「知らないままでいる」ことへの抗えなさは大きくあると感じた。

「知らないままでいる」ことへの抗えなさと、どのように対峙していくかという姿勢が、(こんな田舎で、何を叫んでも自分の力は些細だけれど)と、無力さ痛感しながらサイレントスタンディングを続ける、山吹のやるせなさを踏みしめる、あの感じじゃないだろうか。と考えていた。それは、
場所も人も地位も選ばない。誰もが身近な舞台を持っており、そこに立って、届こうが届きまいが叫ぶことができる。交差点という場所も面白い。事故も起きやすい、色んな方向へ向かう人が、対面する場所。そこに「黙って立つ」行為。

 あの交差点って、サイレントスタンディング参加者の叫びがぶつかる地点であり、誰かの叫びを冷ややかにみる人、叫びを抑圧したい人があらわれる場所でもある。「黙って」居ることを求める人たちに向かって、黙って語る人がぶつかる、衝突地点に他ならない気がする。全然、黙ってなんかないわけだ。

 父の説教に山吹が「わからん」と返答するまでのシークエンス、あれ、母親が真ん中にいて、父→山吹→父と見ているような眼差しだったなあ。赤っぽい映像も、母親の持ってたマフラー?に包まれていたようだった。警察官とジャーナリストなど、イデオロギーを超えた愛情はあり得る!という話がトークでも確かあったな。ま、それは置いといて。
 山吹の母親が、警察官としてではなく一人間としての良心(チャンス本人に足の怪我の真実を言ってしまいそうになる)を繋ぎとめていたような気もした。山吹を、反抗期らしいものとして縁つないでいたのも、母親の不在だっただろうなあ。

 母親が間に立つことで、父娘は暮らしていられる。そういう印象を、父の説教の場面から受け取ったかなあ。
わざわざ言うことでもないかもしれないけど、俳優さんが全員よかった。目と眉が本当によかった。
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