幽斎

ポスト・モーテム 遺体写真家トーマスの幽斎のレビュー・感想・評価

4.0
未体験ゾーンの映画たち2022。今年もアレな作品が27本上映。私は京都住まいなので鑑賞の度に新快速で大阪へ遠征。既に「ザ・ビーチ」「アクセル・フォール」「TUBE チューブ 死の脱出」「クリフハンガー/フォールアウト」レビュー済。問題は電車賃の価値が有るか否か。シネリーブル梅田で鑑賞。

アカデミー国際長編映画部門ハンガリー代表の異色ホラー。ハンガリアン・フィルムウィーク8部門受賞、エミー賞ノミネート「Trezor」のBergendy Peter監督。ハンガリーと言えば時代に杭を打つ様々な傑作を世に送り出す。「サウルの息子」「ニーチェの馬」「心と体と」「この世界に残されて」。ハンガリーはトルコやイタリアの生活様式を色濃く反映。日本のワン・カルチャーとは違う異文化がコンジャリング。

ハンガリーは推理小説では少数派だが国民的作家Baroness Orczyは歴史ロマンス「紅はこべ」世界中で知られた作家。彼女のもう1つの顔が「隅の老人」で知られる推理小説。現場に行く事無く新聞の情報等から真実を導き出す手法は「安楽椅子探偵」先駆とアメリカの大御所Ellery Queenも認めてる。しかし、ホラーと為るとハンガリーは完全に不毛の地。その理由を私も初めて知る事に為る。

政権交代前のハンガリーではホラー映画はブルジョアとの理由で迫害され、製作されなかったとPeter監督のインタビューを聞いて驚いた。ホラー映画はドイツで残虐映画として始まり、イギリスに渡りスリラーに変わり、それがアメリカで低予算映画として花開く。日本でもホラーは映画とは別に「ほん呪」に代表されるOVが独自の文化を築き自社ビルまで建つ盛況ぶり。

ハンガリーが社会主義下で「なぜ」ホラーを禁止したのか謎だが、アメリカの大衆文化に対する「恐れ」とも言える。監督は「エクソシスト」「シャイニング」「ハロウィン」レンタルビデオで無く8㎜フィルムで見たそうだが、本作がハンガリー初のホラー映画だと自負する。日本に較べると映画製作の規模が脆弱、国立映画研究所から支援を受けないと製作出来ず、ホラーなので理解を得るまで8年を労してる。

プロットはパンデミックですが念頭に有ったのは「スペイン風邪」。最初に流行したのは第一次世界大戦のアメリカ合衆国カンザス州ファンストン陸軍基地で、名称が間違ってる。スペイン風邪は一言で言えばインフルエンザだが、医学的にはパンデミック指数のCOVIDよりも最上位の猛烈な毒性。不思議な事にアメリカ由来のウイルスは理由が分らず自然収束する。製作当時は、パンデミックで世界中が大混乱するとは予想も出来なかった。

戦争を背景にしたと言えばAlejandro Amenába監督の傑作スリラー「アザーズ」。整形前のNicole Kidmanが最も美しい頃と言われる(笑)、まぁ製作が当時旦那のTom Cruiseだからね。アザーズは「死後遺体」と言うニュアンスだが、プロット的に秀逸なのは悪霊とか殺人鬼と言ったモンスターで無い恐怖を描く点。遺体写真で絶望感を造り出すセンテンスには才能も求められる。

ハンガリーで第一次世界大戦と言えばオーストリアと同君連合国家を形成したが、戦争に敗れ体制は崩壊、1920年の講和条約で領土の7割以上を割譲され、人口の約6割を失った。漁夫の利を得たのがソビエト連邦。設定は講和直前の1919年なので、街に死者が溢れ返るのはその通りだろう。監督は「当時のハンガリーは恐怖そのもの。歴史は今も私達を辛く悩ませてる」と語る。敗戦して多民族国家に為るざる事実が物語に深みを与えてる。

戦争で死は「ありふれた日常」。本作はハリウッドの様なエンタメ要素は皆無、しかもホラーは初挑戦でクソ真面目に創られてる。トーマスとアナは周囲に理解されないが、孤立感は国が認めないと映画が創れない境遇とシンクロする。幽霊の動き方も独特で白昼堂々と襲って来るのは、ある意味クライマックス。不条理は一歩間違うとギャグに為るが、緊張感をホールド出来るのは冒頭から伏線として見せる「ある存在」の積み重ね。

臨死体験と言えば「フラットライナーズ」、臨死を体験すると現実世界に戻った時に様々なフィードバックを受ける事は医学的にも証明されてる。死生観は哲学的、宗教的、時に軍事的に見方が変わるが基本的に「輪廻」で有り、戦争の死の影が漂うとか、死者と共存せざるアセットを丁寧に描くので、怪奇と日常が混在しても見る側も混乱しない。

際立つのはAnna役のFruzsina Haisちゃん。可愛いのに存在感も有り演技も上手い。彼女はハンガリーの人気TVシリーズ「Csak színház és más semmi」日本で言うラヴコメだが、数多くのエピソードに出演、本作が長編映画デビュー。主演Tomás役のViktor Klemも同じTVシリーズに出演。彼の裸をチラ見して、命を助けたのはハンガリーの著名な舞台女優Judit Schell。しかし、Tomásは若いAnnaちゃんを連れて街を出た、何か切ない。荒削りだが丁寧に創られたホラー映画。スポンサー次第で「あの街」へ行く構想も有り。電車賃の価値は有ったよ(笑)。

大量の死を齎す戦争、日常を侵食する感染症の恐怖、共通するのは未来への絶望感のみ。
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