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われ弱ければ 矢嶋楫子伝のDickのレビュー・感想・評価

われ弱ければ 矢嶋楫子伝(2022年製作の映画)
4.0
❶相性:上。

➋時代と舞台:主人公の矢嶋楫子(やじま・かじこ/1833 - 1925)が誕生した(幼名はかつ)1833(天保4)年の肥後(現:熊本県)の益城町から幕が開き、1925(大正14)年に東京で亡くなるまでの93年間。

❸要旨
①日本が男尊女卑だった明治・大正時代に、女子教育に力を注ぎ、女性解放運動に生涯を捧げた矢嶋楫子の一生を、駆け足ながら丁寧に描いた伝記ドラマの秀作。
②原作は、北海道旭川市出身の作家・三浦綾子(1922~1999)の同名作品。監督と共同脚本は、国内の女性監督で現役最年長(当時89歳)の山田火砂子(1932~)。
③伝記ドラマなので、プラス面が強調されているとは思うが、素直に共感する。一方、説教臭いと反感を持つ人がいるかも知れない。それはやむを得ない思う。
④主人公・楫子にとって、一番幸運だったのは、後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師・教育者のマリア・ツルー夫人(Mary T. True、1840- 1895)と出会えたことだろう。ツルー夫人が楫子を信頼し、新設の女学校の校長に抜擢し、一任したことが、楫子の成長に繋がったのである。
⑤そして、その信頼に応えた楫子が、生徒たちを信頼したことで、信頼の輪がプラスの連鎖を生んでいく。
★これこそが理想の教育である。
⑥ツルー夫人の楫子への信頼:
ⓐ赴任当時、主人公はタバコを吸っていて、先生たちから苦情が出た。しかし、ツルー夫人の口から出たのは、「もう少し待ちましょう」。
ⓑ楫子のタバコの不始末で書類が燃える事故が起こる。
ⓒ深く反省した主人公は、二度とタバコは吸わないと決意し約束する。
ⓓ楫子は事前に聞いていた噂、「ツルー夫人は過ちを犯した人を叱らないで抱きしめる」の本当の意味を、身をもって理解したのである。
⑦主人公の生徒たちへの信頼:
ⓐ生徒たちの門限破りが後を絶たず、困り果てた先生たちが罰則を強化したいと提案する。
ⓑ楫子が言う:
「神様が最初の人間のアダムとイブ(エバ)を創造し、エデンの園に住まわせた時のルールは唯一つ、“リンゴ(善悪の知識の木の果実)を食べてはならぬ”でしたが、そのルールは守られませんでした。たった一つのルールさえ、守ることが出来ないのに、幾つものルールが守れるわけがないではありませんか」。
ⓒ楫子は、生活上の一切のルールを廃止し、生徒たちの良識に一任したのである。
ⓓ生徒たちが楫子の信頼に応えたのは言うまでもない。
⑤本作では、女性として2種類の楫子が描かれている。
ⓐ楫子が25歳の時、初婚にはもはや遅いとして、子持ちの富豪で武家出身の林の後妻となり、3人の子をもうけた。林は今でいうアル中で、酒を飲むとDVを振るう悪癖があり、我慢の限界を超えた楫子は子と共に家出する。そして、豊かな黒髪を根元から切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのだった。
ⓑ楫子は、東京勤務の兄が病に倒れたため上京して看病すると共に、借金まみれだった兄の放漫財政を立て直す手腕を発揮する。そこで楫子は、妻子持ちの書生と不倫関係となり女児を宿す。楫子は、堕胎や妾の選択肢を拒否して、シングルマザーの道を選ぶ。

❹まとめ
①国内の女性監督で現役最年長の山田火砂子が描いた矢嶋楫子は、完璧な人ではなかった・・・DVの夫に妻の方から「三行半」を突きつけたり、不倫の上シングルマザーとなったり、自らのタバコでボヤ騒ぎを起こしたり等々。
★完璧な人はいないことに異議はないが、母としての矢嶋楫子は、他にベターなやり方があったのではないかと思う。(結果論です。)
②でも、矢嶋楫子の偉かったこと、凄かったことは、それ等のマイナスをプラスに変えていったことである。
③その裏には、ツルー夫人と出会えたこと等の運もあっただろうが、一番は矢嶋楫子自身の絶え間なくポジティブな努力があったことによると思う。
④主人公矢嶋楫子の25歳から89歳を演じた常盤貴子(49)は適役・好演である。
⑤そんな矢嶋楫子の実態を、山田火砂子監督は、優しい、そして、厳しい眼で、我々観客に示してくれた。
★有難う、山田火砂子監督!。貴方の力がなければ、矢嶋楫子のことを知ることはなかったと思う。
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