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ベナジルに捧げる3つの歌のdm10foreverのレビュー・感想・評価

ベナジルに捧げる3つの歌(2021年製作の映画)
4.0
【履歴書】

第94回(2022)アカデミー短編ドキュメント賞ノミネート作品。

アフガニスタン、カブールの難民キャンプに暮らす青年シャイスタの苦悩に迫るドキュメンタリー。

貧しいながらも若くて可愛らしい妻ベナジルのために歌を歌ってあげる優しい青年シャイスタ。
彼らが暮らす難民キャンプはタリバンの虐殺から逃れるように身を寄せ合いながら一日一日を貧しく生き延びていたが、そんな中でシャイスタは一人悶々としていた。

生きるため、妻やこれからの産まれてくる子供を養うため、彼にはどうしても仕事が必要。
しかし、学のない彼に出来ることといえば、そこら辺にある土を固めて作ったレンガを売ることくらい。

「こんなレンガ、誰が買ってくれるんだよ!?」
「そこに置いとけば誰かが買ってくれるさ」
「誰かって、誰だよ」

彼は生きるための「仕事」として軍隊への入隊を決意する。

しかし、事は簡単には進まない。

アフガニスタンに住む彼らは「同じ民族」でありながら「同じ世界」を見て生きているわけではない。
もちろん、日本人だってみんなが同じ事を考えて生きているわけではないけど、それでも『日本国憲法』のもとに日本人として生きている。
その道から外れれば日本国民として法で裁かれるだけ。

でも、アフガニスタンでは平和を望む一般人だけではなく、タリバン、アルカイダ、イスラム国など「同じ民族同士」でも残虐な行為も厭わない組織も存在する。

そんな連中を国軍に潜り込ませるわけにはいかない。
軍は入隊希望者には親族を連帯保証人とした上での履歴書の提出を求めた。

…ここが多分平和慣れしている日本人とは違う感覚。
彼らにとっての履歴書を書いてもらうということは、いわゆる経済的な連帯保証的な意味合いの強い「身元保証人」ではなく、一族郎党が命をかけて一蓮托生となるための「連判書」としての意味を持つ。

タリバンからの殺戮に怯えながら暮らす彼らにとっては「何もない、何も事を起こさない」事が平和なのであって、わざわざ敵対するような真似をして目を付けられてまで戦うのはリスクしかないのだ。
ましてまだ若い身重の妻を一人残して入隊しようとするシャイスタの行動は難民キャンプ全員を危険に晒す行為だと年輩者たちは全員反対する。

「みんな弱虫だ!信じられない!」

…でもわからなくもないんですね。
彼らは自分が日々生き抜くことで精一杯で、「国のため」とか「未来のため」という理想に命を賭けるほど余力はもう残っていませんでした。

今を生きるための仕事として戦うのか、アフガニスタンの明るい未来のために戦うのか…

一人の若者の命懸けの決心(理想)は、それ以上に重くのしかかる現実に圧し潰されていく…。

4年後…
シャイスタは「薬物中毒治療センター」にいた。
現実に耐えられなくなった彼はアヘンに走り、そして依存症となってしまったのだ。

家族のために自分の命を懸けて「仕事」をしようとしたことが間違いだったのか?
難民キャンプの皆のように「死なずに生きている」ということが正しかったのか?

答えは簡単には見つけられなかった…。



…という一連の出来事を淡々と見つめ続ける真っ白な飛行船。
アメリカなど「対イスラム圏」の国がこの地域の全てを監視するために飛ばしている「巨大な傍観者」。

そして、その存在を改めて考えたとき、何故だが胸騒ぎが止まらなかった。

この難民キャンプが置かれている状況と、今まさにウクライナが置かれている状況が酷似しているような気がするのだ。
それは「下手に手を出せば全面戦争になってしまう」ということを危惧しての静観といえば聞こえは良いけど、実際のところはホントにそうだろうか…。

もしかしたら、最初から敵対組織の勢力を「正義の名の下」で排除する目的で、半ば「人身御供」として距離を取っているのじゃないだろうか…と。

『奴らが一線を超えたら、こちらが「正義」になる』

NATOも国連も、もしかしたら動けないのではなく「待っている」のではないのか…と。


この作品の中で、どんなときも遠い空から彼らを監視し続ける飛行船の存在感が最後まで不気味に感じた。

もしかしたら我々日本人も誰かに「生かされている」だけなのかもしれない…。
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