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マイ・ブロークン・マリコのkuuのレビュー・感想・評価

マイ・ブロークン・マリコ(2022年製作の映画)
3.7
『マイ・ブロークン・マリコ』
映倫区分 G
製作年 2022年。上映時間 85分。
平庫ワカの同名コミックを、永野芽郁の主演、
永野は本物のタバコが吸えない程の非喫煙者である事を考慮して、撮影開始3~4ヶ月程前からニコチン・タール他の有害物質を一切使用しない美容タバコを吸う練習を始め、愛用するドクターマーチンの靴は11ヶ月程前から履きつぶすまで過ごしたと公言したときはタナダ監督から称賛を受けてたそうだ。
演技の情熱がこちらにも伝わるほどでした。
個人的にはシイノの子供の頃を演じた子役の佐々木告(つぐ)ちゃんも、永野に負けないくらいの熱量やった。
『ふがいない僕は空を見た』のタナダユキ監督のメガホンで映画化。
亡き親友マリコを奈緒、シイノが旅先で出会うマキオを窪田正孝、マリコの父を尾美としのり、その再婚相手を吉田羊が演じる。

鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノトモヨは、親友のイカガワマリコが亡くなったことをテレビのニュースで知る。
マリコは幼い頃から、実の父親にひどい虐待を受けていた。
そんなマリコの魂を救うため、シイノはマリコの父親のもとから遺骨を奪うことを決意。マリコの父親と再婚相手が暮らす家を訪れ、遺骨を強奪し逃亡する。マリコの遺骨を抱き、マリコとの思い出を胸に旅に出るシイノだったが。。。

今作品は、幼なじみで親友のマリコの突然の死を知ったシイノが、マリコを虐待していた親から遺骨を引き取り(奪いかな)、マリコが生前に行きたがっていた海へ旅に出るというストーリーでした。
マリコの気持ちは少なからず分かるなぁ。
生き別れた二人はどのように折り合いをつけていくのか。
物語が進むにつれて明らかになる2人の関係性が、情感豊かに表現されていた。
個人的にシイノがマリコに『出来なかった何かを』と思い立ち動く気持ちは良く分かる。
と云うのも、小生が育った町は底辺の薄汚れた所で、マリコの様なエゲつない虐待を受けてたウッツちゃんと云う同級生がいた。
彼の家に遊びに行くと、部屋は荒れ放題、一部モノが散乱してないとこに、ウッツちゃんのオヤジは座ってた。
オヤジは素面の時は物腰の柔らかい人やったが、酒が入ると人が変わり、ウッツちゃんは常にオヤジの暴力を受けてた。
不思議と妹はなにもされてなかった。
今作品でもマリコが虐待を受けてても、シイノは声を張上げはできても、何ら抑制出来ない子供ゆえの歯痒さ、痛いように伝わった。
同級生達も、回りの大人達も、いつか大事件が起こるんじゃないかと噂はしても、子供目線では大人達の介入した兆しがなかった。
ある日、ウッツちゃんはオヤジからお箸で頭を刺された。
アッケラカンと事の顛末を話すウッツちゃんやった。
幸いにも見える範囲の障害は残ってなかったが、精神的にはかなりダメージを受けてたであろう。
そして、程なく家を出た小生は時折ウッツちゃんを思い出すも、地元には帰らなかったし会うこともなかった。
成人し、幾年か経ったとき、フラりと帰京した折りに、ウッツちゃんと再会した。
妹と一緒にいるところで、遊んでた頃は同年に比べ小さなウッツちゃんやったが、そのときは、話をするとき見上げなきゃならないほど背が高くなってて、あの頃は栄養失調やったんやなぁなんて思って、元気な姿に涙した。
話が長くなったが、そのウッツちゃんとの再会が悲報やったらと思うと、今作品は他人事ではなく共感して魅入った。
情を持つ人を失うのは辛い、ましてや殺人や自死はなお辛い。
残された者にとって、どちらがより悲惨かって考えても千差万別の意味合い、その理由はあるとは思う。
ただ、殺人の場合は、殺した奴を恨むことができる。
しかし、自死の場合は、情を通わした者がその選択をせざるを得ないほど追い込まれていたことに気づかなかった己自身を責めてしまう。
冒頭で、マリコはすでに亡くなっている。 
シイノは親友の骨壷を持ち出し、逃亡。
マリコとはガキの時代からの付き合いだが、彼女は父親から身体的、性的虐待を受け、精神を病んでいた。
あらすじを読むと、陰惨で救いがないように思えるかもしれない。
しかし、そうではない。
主人公のパワフルな行動力とコミカルなセリフが、映画に軽快さをもたらしてた。
会社からも日常からも離れたシイノは、親友が生前に見たがっていた海を目指す。
そこにあるのは、まぎれもない愛、友情でした。また、それに加え溢れるほどの哀しみでした。
今作品はマリコの悲しみが、特に誇張されることなく、淡々と表現されているところが意外にもリアルさを感じた。
人間はきれいごとでできているのではない。
マリコはかわいそうな被害者、生き残れなかった人ですが、壊れたマリコを大切にする一方で、そのメンドクサイ行動に悩まされるシイノもいたが、マリコの死を深く悲しみ、先に逝ってしまったマリコを罵倒しても、『あなたが悪い』とは決して云わない。
それは、マリコが死ぬまで彼から聞き続けた言葉やったからである。
今作品を斜めに見たらプラトニック・ホモセクシュアルに分類されるかもしれない。
しかし、正直、二人の絆は強く、既成の枠にはめることは難しいのは事実。
また、はめ込む必要性も感じない。
友情と呼ぶにはあまりに熱烈で息苦しいが、マリコがシイノに頼らざるを得ない気持ちもよくわかる。
仮に一緒に暮らしたとしても、共依存の悪循環に陥ってうまくいかなかった可能性は大やけど、もしもを想像せずにはいられない。
複雑な表現はしていないけれど、ちょっとした言葉や表現の仕方で、感情がとてもよく伝わってきた作品でした。
作中、最後の手紙の内容は明かされないが、想像はつく。
マリコは、結果的に死を選んだとはいえ、そこまで思われるのは幸せだったのかもしれない。
生前、どんなに辛く苦しくても、自分にはこの人しかいないと思わせてくれる人に出会えたんやし。
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