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That Kind of Summer(原題)
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『That Kind of Summer(原題)』に投稿された感想・評価

[カナダ、性欲過剰者の共同生活から何が見えるか] 40点

2022年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。3人の性欲過剰の女性を集め、二人のセラピストと共同生活をする中で、彼女たちの問題に寄り添う?話。ドゥニ・コテはこれで3本目だが、どうも浅いところを只管グルグル回って煙に巻く感じのヌルい映画を撮る人という印象で、本作品はそれが悪い方に作用していると思う。というのは、冒頭でセラピストの言う"あなたたちは病気ではないので治療するわけではない"という言葉を忠実に守って、自慰に耽ったり、トラウマを語ったり、共同生活から抜け出して近所の男たちと見境なくセックスしたりする三人をただ並べているだけなのだ。一応、もう一人のセラピストで唯一の男性であるサミから問題は彼女たちの"自尊心の低さにある"との指摘があり、それを裏付けるような過去や現在のエピソードが並べられていて、彼女たちが自発的に気付いて変化するのを優しく促しているようでもあるのだが、そもそもその静かな寄り添いには気付けないからこうなっているのでは?と。そのせいで、寄り添うことにも興味がなさそうで、過激な描写だけが前景化してくる。例えば、参加者の一人レオニーは過去に父親から性的虐待を受けていて、それを告白する際に"乾いた精液の感触が好き"みたいなことを言うわけだが、セラピストは"そうなんだ"とだけ返して終わってしまい、なんなら緊縛の映像まで付け加えるという意地の悪さを見せる。なにがしたいかまるで意味が分からん。
Omizu

Omizuの感想・評価

3.8
【第72回ベルリン映画祭 コンペティション部門出品】
『ヴィクとフロ、熊に会う』『ゴーストタウン・アンソロジー』のカナダの異才ドゥニ・コテ監督作品。性欲過剰の女三人がセラピストによって集められ、郊外の家で約一か月暮らすという話。

ドゥニ・コテは『ヴィクとフロ、熊に会う』『ゴーストタウン・アンソロジー』も素晴らしいと思っていて、すごく好きな作家なのに日本では全然やってくれない。まあこの性描写なら仕方ないか。

坊主頭にピアスだらけの女、精神的な問題がある大人しめの女、常にハイで絵を描く女とそれぞれ強烈な女たち。そして受け入れる側も面白い。ドイツ人でレズビアンのセラピスト、唯一の男性でアラブ人の監視役。この五人が織りなすアンサンブルが楽しい。

特に大きな事件があるわけではなく、一緒に暮らしているうちに最初は語りたがらなかった自分のことを話し出す。きっかけはなんだったのか、しているときはどんな感情なのか、自分で原因がなんだと思うか。

ある日完全オフの日があり、おのおの決まった場所へ繰り出す。そして赤裸々なプレイをみせていく。ある者は野外でのフェラ、ある者は緊縛プレイ、ある者はトラック運転手の誘惑…

セラピストはレズビアンの恋人と上手くいっていないようでマスターベーションをしてしまったり、監視役のサミは彼女たちの誘惑に翻弄されたりする。両者ともカナダ人ではない他者としての側面を負っているのが興味深い。

性に対して全く同じ認識でいる人なんていない。性を中心に描きつつも、恵まれているとは言えない人々の社会的背景も浮かび上がらせる。

ドゥニ・コテならではのざらついた質感のカメラが郊外の光を魅力的に捉えている。コテの何も否定しない姿勢が好き。

ただ、「プレイを赤裸々に映す」のはいいけど、これってポルノとどう違うのか、と思ってしまった。今の時代女性の肌ばかり映して大丈夫かなとは思った。
テッサロニキ映画祭にて。

ドゥニ・コテ監督による性的依存症セラピー合宿観察映画。

3人の女性がコテージで26日間過ごす。そのうち24時間は外で何をしてもいいらしい。
性的依存症を「ハイパーセクシュアリティ」と呼び治療のためにここに来ているのではないとソーシャルワーカーは言う。
性の誘惑やコントロールできないほどの衝動のために生活がうまくいかない人々のプログラム。

性的虐待を受けたトラウマがある者、セックスワーカーとして体でサービスする者、不安障害の者、それぞれの理由でセックスなしでは機能しない者たちをどういうセラピーで変わっていくのか。
別にセックス自体は不健全ではないので、バランスのとれた生活ができるようになれば良しとするんだろう。

このプログラムによって彼女たちが変わったのかはっきりはわからず、見る側によると思う。

題材的には「タッチ・ミー・ノット」に近いように見えるが、こちらはセックス断ちから精神を観察しようとする感じ。

サッカーチームに近寄り片っ端から「サービス」したり、緊縛したり、自慰行為を見せられたりと、変に生々しいシーンが多いと思えば突然メンタルの混乱を表すファンタジックな描写があったり。

まあ、面白い映画ではないな。