フォーラム仙台で見た。昼の回。観客は俺ともう一人だけだった。
あまり情報を入れず、ちょうどよくエンタメの社会問題をミックスしていて、俺くらいのオタクでもない一般映画好きでもないやつにいいんじゃないのか、と予想して足を運んだのだ。
それはおおむね世界だった。
『ドリーム』とか『She Said』とか、フェミニズム的なテーマを絡めつつ主軸はエンタメに置いたような映画は苦みがありつつも最終的にはなんなかの(主人公らにとっての)勝利があることが分かっているので、見ていて気持ちが良い。
俺たちは、歴史の正しい未来にいるのだと思いたい欲が満たされる。
とはいえ、そういった作品に対してややバジェットなどの面でしょぼく感じる面はあった。基本的に室内のシーンばかりだし、主人公ジョイは裕福な家庭の白人主夫で夫もなかなか物わかりのいいグッドガイなので、大した衝突がない。
患者の方も曲者ぞろい、というわけではなく、起伏がない。
主人公が素人から中絶手術を手掛ける技術を身に着けるところと、モグリ(と後に発覚する)男性産婦人科医ディーン、ジェーンの代表を務めるバージニアの2名のキャラクターが、本作の数少ないエッジの立った部分である。
ディーンがジョイに産婦人科医としての技術を授けたのに、まんまと追い出されてその後に登場すらしなかったのはさすがにどうかと思った。まんまとそのあと人員が足りなくなってるし、ディーンをつなぎ留めておく判断くらいしろよ、バージニア。
モグリの主婦が見様見真似と読書の知識で中絶を手掛けていたというのも、よくよく考えるといいはなしなのか?というか運よく感染症等問題が起こらなかっただけじゃないのかと疑問である。
よいこは真似すべきではない。
とはいえ、ドブス判決で中絶禁止が可能となり、カリフォルニアでトランプ再選からの保守化が進む流れが少なからず予想される米国において、中絶を当たり前の権利として取り戻すことを主張するには、これくらい当たり前のものとして中絶を描く必要がある、というのもわかる。