制限時間が設けられたガラス(アクリル?)越しの面会の映像が、
収容者の名前以外にはほとんど説明が付け加えられることなく、
複数の収容者が切り替わりながら、延々と流され続ける構成なので、
劇場という拘束された場所だったので、見続けることができましたが、
そうでなかったら、なかなか辛抱が要求されるなというのが正直な感想です。
こちらは何の知識も入れないまま見始めているので、
面会によって得られた言質をつなぎ合わせて、
状況を把握しようと努めるのですが、
断片的な情報のツギハギでは、なかなか全貌がよくわからなくて、
中盤まで深刻さがあまり伝わってきませんでした。
ドキュメンタリ作品は、客観性を装えてしまえる分、
こちらも警戒しながら見ざるを得ないので、なおさらです。
静的な面会シーンが続く途中で、
一人の収容者を5、6人の職員で”制圧する”(動けないように床に押し付ける)
動的なシーンが挟まり、注意を惹きますが、
そのシーンだけを切り取って見せられても、
その情報のみで職員の対応の適、不適を判断するのは難しいし、
どうして、このような場面を撮影することができたのかという疑問も湧いてきて、
さすがにヤラセはないよなと思いつつ、やはり警戒して見てしまうのですよね。
(後に調べたところ、施設側からの提供映像とのこと)
中盤、仮釈放で元気にハキハキ応対していた人が、
再収監され、鬱に陥り、全く別人のようになっていたシーンを見て、
ようやく事の深刻さがわかってきました。
説明が多すぎるのも、作者の恣意が感じられ、うるさく感じるものですが、
説明が無さ過ぎるのも、見る側にリテラシーや予備知識が要求され、
状況が伝わりづらい。
その加減が難しいなと、改めて思った次第です。
作品としての評価が、なかなか難しいですね。
行政の実態の暴露という意味では大きな意義があり、
取材のための労力や時間がかかっているのは事実なのですが・・・
例えると、生の素材が並べられたものを、
料理としてどう評価するのか、そもそも評価すべきなのか
というような悩ましさがあります。
本作に関して言えば、最初からマスを対象にした周知というよりは、
入手した生の情報を、まずは下手に手は加えず、まずはオープンにして、
それにより、現状を変化させることに重きを置いた戦略なのかもしれませんね。
暴かれた日本の難民対策の実態について言えば、
普段、不法入国者を扱うことが多い職員たちに難民を扱わせれば、
まあこうなってしまうんだろうなと思うところもあり、
難民受入に対して状況に応じた特別な措置を講じなかった点で、
行政が判断を間違えたという事なんだと思いますが、
その判断ミスそのものより、
判断ミスの結果起きてしまう状況を常にチェックして、
フィードバックする機能がないことこそが問題だよなと思いました。
外国人のドキュメンタリ作家がそれをしないと正せないというのは、
何だか恥ずかしい話ですね。
まあ何にせよ密室で行われていて、なかなか表に出ることがない、
不適切な行政の実態を公にしたことの意義は大きいと思います。
今後のこの件に関する政治的な判断、行政の対応と改善状況を観察していきたいです。