午後

ブラウン・バニーの午後のネタバレレビュー・内容・結末

ブラウン・バニー(2003年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

2016/11/10
胸糞悪いしさみしいしくやしいし、精神衛生上よくない映画。
僕が知る限り、この世界で最も寂しい映画。

2024/04/28
この映画を初めて観た時、嫌いな自分がなりたい自分の、なりたくない姿を見せられているようで、この映画が嫌いだった。
バイクレースの音を切り取る瞬間の、白々しいロードサイドの風景の、落ち窪んだ蒼い瞳の、その寂しさに胸が張り裂けそうだった。
土砂降りの雨の日の曇った窓ガラスを見ている方が、暗い夜の中にいる方が、なんだか落ち着く気がする。自分のことを覚えていない老夫婦とする思い出話。どこにも辿り着くことはないのだということがよくわかる。ペットショップにいた、目ばかりが大きな魚、ウサギの寿命は短い。悲しげな人々ばかりと巡り会う。あの時に、冷たい頬を優しく撫でることができていたら、と思ってしまう。リリーは取り返しのつかない表情をしていた。自分の悲しみすらも手に負えなくて、あなたの悲しみから逃げてしまった。バックミラーに映るのは空ばかり。
最適な心象風景としての"Bonneville Salt Flats"、消えてしまいそうな白の中で、地平線が揺れていた。
デイジーとの素晴らしい日々がフラッシュバックする瞬間の美しさ、うまく思い出すことができない、忘れられない、なかったことにはならない出来事に、いつまでも囚われていて、いつまでだって悲しいままだ。

今回観たのは多分4回目くらいで、なりたくなかった自分になったことを、生きることの哀しみを、少しずつ受け入れ始めているのかもしれない。ギャロは何度も頭を抱える。僕はもっと頭を抱えながら観ている。あなたは花の名前をしていたが、僕はいつまでも蕾(Bud)のままだ。というのは陳腐過ぎるだろうか。
午後

午後