現フランス大統領エマニュエル・マクロン氏の政権に異を唱える市民活動”黄色いベスト運動”が激化していく中で、制圧しようとする警察との衝突において、警察官による暴力行為を収めた多くのSNS投稿に対して、その暴力に正当性があるかどうかを問うため、様々な立場の人で対話を行うというドキュメンタリー映画です。
昨日観たNetflixの「アテナ」に今作(暴力をめぐる対話)に使われている動画のようなシーンがあって、市民と警察の現在のフランスの図式を引用していると思い、今日はこの作品を取り上げます。
最も明快だったのが、スマートフォンの普及によって、警察官による暴力行為が可視化されたということでした。
今作の映像の大半は市民によるSNSに投稿された動画で構成されており、これまでなら新聞やTVニュースなどで忖度された内容になっていて、ねじ曲げられた事実だとしても、それを実証する手段がなかったのですが、個人での動画撮影、投稿がダイレクトにできることで、それまでもあったかもしれない、警察官による暴力行為が名実のものとなり、このような動画を検証していくことが、暴力の意味を説く鍵になると思いました。
ただ、映画では被害を受けた市民や中立的な評論家などの声は多いのですが、警察関係者の声が少なく、回答が明瞭でないのが、バランスが悪いところではありました。
この意味はラストで明かされるのですが、出演依頼した警察高官など、責任のある立場の人たちの多くは出演を辞退しているということでした。
映像自体は、警察側の暴力描写だけではないのですが、見て取れるのが数の原理になっていて、警察官の数が多い場合にだけ、市民に対して攻撃をしている印象で、市民側が多い場所では、警官側が追われる場面も見受けられました。
人間心理としては、そういうものかと変に納得するところはありますが、映像には陰惨な被害の瞬間や威圧的な態度や暴力が圧倒的に多く、弁解の余地はありません。
映画の後半にある暴力の真意や、政府や権威との関係性、そして、Netflix「アテナ」のラストにつながる警察という権威の傘を悪用する人間の問題まで及ぶのは見所も多かったです。
フランスにおける暴動は過去のフランス革命の成功体験からきているようですが、日本では全共闘運動などが盛んな時代に、そこまでしても政治を動かせない無力さを感じた差を感じる部分はありますが、その無軌道さが民主主義の乱用を生んでいるのは、フランスだけの話ではなく、日本にも充分当てはまる問題。
遠い国の問題を眺めているだけではなく、自国の立場に置き換えて、読み解いていくには大変重要な作品であると思いました。
映画の中にはマクロン大統領とロシアのプーチン大統領の会談など、興味深いシーンもあって、決して堅苦しいだけの作品ではないので、多くの方に観て欲しい作品です。