燃料価格、生活費などの高騰による社会的不平等に抗議した市民による「黄色いベスト運動」
その模様を市民が撮影しSNSに投稿された動画をまとめたものを、デモ参加者、警察、弁護士、社会学者、セラピスト、ジャーナリストなど様々な立場の人たちが観ながら対話していくという形。
この映画のポイントとなるのがマックス・ウェーバーの言葉「国家は正当な物理的暴力行使の独占を保持する」
ときに破壊行為におよぶデモ参加者に対し、政権や警察組織が唱える「正当な暴力」
それらは果たして「正当」なのか?武器をもたない市民に対し、殴る蹴るを執拗に繰り返す。警防、ゴム弾、催涙ガス・・・。その暴力によって押さえつけられるのは、市民の「表現の自由」である。デモは民主主義の基本、表現の自由で市民の権利なのに。
ある意味、政治で解決されない貧困や不平等も、市民への暴力なのではないかと問いかける女性。
政権側は「正当な暴力」を主張するなら、まずはその貧困や不平等を無くすことが必要じゃないのだろうか?
なんだかマクロンがやってることは、プーチンと似ているんではない?大丈夫かフランス?って言いたくなるけど、日本だって似たり寄ったりだろう。
多くの市民が国葬反対を訴えたにも関わらず、その声は無視され、いつ完成するかわからない辺野古新基地建設をめぐる反対の民意は無視され続けている。直接的な暴力ではないが、
政権が、切実な訴えに耳を傾けないのは、形を変えた暴力だと思う。そして、それを冷笑する輩も、その暴力性を自覚してほしいと思う。