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ムーラン・ルージュのkanacoのレビュー・感想・評価

ムーラン・ルージュ(2001年製作の映画)
3.0
パリのナイトクラブ【ムーラン・ルージュ】を舞台に描かれる〈愛至上主義〉な作家の卵と〈愛を諦めた〉高級娼婦ダンサーの恋の行方は!有名ポピュラー音楽に彩られた豪華絢爛なミュージカル!矢継ぎ早なセリフ回し、激しいカメラワークやカット割り、アレンジ効くポップスで綴る愛物語は…イラっとぉ😂(140文字)

****以下ネタバレあり&乱雑文****

★登場キャラクター、ストーリーの明確なネタバレがあります。また辛口です。本作品を好きな方、今後鑑賞を予定されている方はご注意をお願いします。あといつも以上に長いです😂

◆あらすじ◆
1899年の夏、世はボヘミアン革命の最中。作家志望の青年クリスチャンは〈ボヘミアン〉に憧れて父親に反対されながらも裕福な家を飛び出しパリにある高台の町にやってきた。懐は空っぽだが決意は固く期待に満ち溢れていた。真実と美と自由をテーマに小説を書くのだ…とりわけ“愛”のことを。しかしクリスチャンは恋愛を経験がなかった。そんな時、ひょんなことから【ムーラン・ルージュ】という有名なナイトクラブに雇われている作家とその仲間たちと知り合う。【ムーラン・ルージュ】には〈輝くダイヤモンド〉と呼ばれる女優志望のスター娘・サティーンがいた。そしてクリスチャンとサティーンは偶然が重なり合った結果“ちょっとした手違い”によって出会い、瞬く間に恋に落ちてしまうが…。

❶作家の卵と人気ダンサーの恋の行方は…!有名ポピュラー音楽に彩られた豪華絢爛な恋愛ミュージカル!

パリにあるナイトクラブ【ムーラン・ルージュ】を舞台に、ボヘミアン主義に憧れを抱いてパリにやってきた若い作家の卵と女優になる夢を追いかけている【ムーラン・ルージュ】のNO1のダンサーの恋物語を描くミュージカル映画です。ムーラン・ルージュは実際にパリ市内にあるみたいですね🤔✨

特色は豪華絢爛で“けばけばしい”、豪奢で晴れやかな舞台セットや衣装、入り乱れる個性的なキャラクターたち。そして矢継ぎ早なセリフ回し、激しくて目まぐるしいカメラワークやカット割り。ギリギリ置いていかれる程ではないとはいえ目が忙しいです。私が鑑賞したことがあるミュージカル映画群の中ではトップクラスに演出のテンポが速かったと思います。ただし物語のテンポではなく演出のテンポが…ですが。その演出はリアルを軽々と飛び越えてファンタジーでさえあります。

楽曲は他のミュージカルのように〈物語〉のために書き下ろされた専用曲…ではなく、すでに有名なポピュラー音楽を多数使用してストーリーに彩りを与えていくスタイルです。マドンナ、エルトン・ジョン、ビートルズ、キッス、ニルヴァーナ…などなど例え曲のタイトルや歌手名は知らなくても、誰もがどこかで耳にしたことがあるような有名な楽曲たちが次々とアレンジされて登場。時には立てノリな体動くダンスミュージックに、時にはロマンティックな愛のメドレーに…。ユアン・マクレガーもニコール・キッドマンも堂々朗々歌い上げていて素敵です🥰

ストーリーでは愛至上主義で人を虜にする詩を次々と紡ぎ出すユアン・マクレガーが演じるクリスチャンと、このごった煮な【ムーラン・ルージュ】という世界観の中で最も美しい存在感を放ち全ての視線を独り占めする〈ダイヤモンドの女〉…ニコール・キッドマンが演じるシャーリンの恋の行く末が描かれます。起承転結はシンプルですが、この(良い意味で)騒騒しい演出の中でストーリーまで難しかったり捻りに捻っていたりしたら、私の頭は思考拒否していたかもしれません。ダンスもセリフも仕草もセットも全てが芝居がかり大振り。映画の基本スタイルはコメディですのでそのテンションに身を任せるが吉。ただし映画冒頭でも示唆されている通り恋愛物語としては悲劇なので、後半から悲しい展開へと舵を切っていきます。

❷個人的にはイライラしちゃう胸糞ラブストーリーでした😂(辛口注意)

この恋愛物語が「ボヘミアン及び愛至上主義」を謳っているのにまぁムカついたお話で…(もちろん個人の感想によります)😂性格の悪いキャラクターばかりで感情移入がなかなか難しく感じました。

【ムーラン・ルージュ】の看板スター・ダイヤモンドの女であるサティーンは女優志望で自分の夢のために激しいダンス、キツい衣装、男性の誘惑や娼婦業を一所懸命に行っているダンサーです。ナイトクラブ以外に他に身の置き場は無く、現状を抜け出して〈本物の女優になる夢〉を叶えるために体を張ったり売ったりすることを厭わない現実的な思考を持つ女性です。

一方、裕福な家の出身ですがボヘミアン(=芸術家や作家などで伝統や習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている者)に憧れている作家志望の青年セバスチャンが何よりも信じるのは〈愛〉。全てに〈愛〉は勝ると信じていますし、詩の才能で次々と愛を尊ぶ言葉を口から紡ぎ出すロマンチストです。その感情と才能は初めての恋相手・サティーンと出会ってますます輝いてきます。

作家の卵と高級娼婦、ロマンチストな男とリアリストな女、出身は裕福で帰る家がある男と裏の世界でしか生きる術がない女、愛至上主義を掲げる男と愛をあきらめた女…正反対の人生指針を持つ男女の恋のお話。

しかしセバスチャンとサティーン。恋に落ちあうのは勝手ですが、〈サティーンを恋人にすることを交換条件に【ムーラン・ルージュ】に投資する〉と宣言する恋敵の侯爵を、セバスチャン公認の上でしっかり色仕掛けで言葉の通り「キープ」していきます。というか、侯爵以外みんな知っている。さらにひっそり付き合うのではなく「でもこっちが本命なんで💕」みたいなテンションで割と堂々といちゃつき、侯爵に対して基本小バカにしたような態度をとり続ける…。

そしてそれに侯爵が怒り始めるとセバスチャンが逆切れをし始める始末。侯爵は性格の悪いヴィランとして登場(そして実際に問題が多い人物である)しますが、過激なサイコパス感を印象つけようと演出されている割には、少なくとも中盤までは我慢強くサティーンにアプローチしているし投資も約束通りしており、彼が怒りを爆発させるまできた時には「いや…正直こんな扱いをされたら私でもキレるわ🙄」と思わざるを得ないほど雑な扱いです。しかもセバスチャンがここぞという時にまぁ致命的に侯爵を煽る、煽る😑「何やってんだ、コイツ…」とイライラ!

セバスチャンさん。私の目には自分が思う愛を気持ちよく謳って押し付けるだけで、現実的に起きる問題には何も向き合わない…というか見る気持ちすらないタイプに思える…。ずっとフワフワしていて夢見ごこち。問題が起こるとヒロイックにポエムするだけで、ますます被せて愛を提唱するか相手をヒステリックになじるかしかしない…。〈愛至上主義を朗々と謳って一途に娼婦に愛を捧げる〉という【自分】を愛しているか酔っているだけにしか思えぬ…😑

この恋愛の悲劇はサティーンが実は病にかかっており余命僅かであることなのですが、サティーンがセバスチャンのために様々な辛い嘘をついて侯爵との確執や危険な事態を収めようとする中で、何にも気が付かず自己主張だけを盛んに繰り返すセバスチャンを見ていると、サティーンがなかなかお気の毒に…🙄。

そんなわけで、ラストの盛り上がり所。ある事によりセバスチャンはサティーンをメッタメタになじって自分の悲しい感情のままに恋人に暴言を吐きまくるのですが、それに耐えられなくなったサティーンが苦しさから本心を告白した瞬間、「ほーらね、やっぱり愛が最強なんだよ😏✨」みたいな顔で表情を柔らかくしたセバスチャンに対し、ムカムカしすぎて侯爵より先に私が暗殺者に対して

「ヤツを銃で撃てーーーー!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!」

って言っていたもん(過激派)😂

最終的な結末で、しくしく泣いているセバスチャンを見て白けた気持ちにしかならなかったです。最期に彼が今回の恋愛物語の顛末を綴った自伝の〆の言葉。

「愛の物語 愛は生き続ける永遠に ジ エンド」

はぁあ!?ぶっとばしちゃうぞ☆(っ・д・)三⊃)゚3゚)'∴:. 

私にはこれは純粋な愛物語という皮を被った、周りの人間たちの欲や目的(…つまりセバスチャンの愛至上主義、侯爵の女所有欲、ムーラン・ルージュの支配人や仲間たちの経営や生活保障、夢)のために、夢と愛に邁進するのを逆手に取られた病気持ちの女がひたすら重いストレスを与え続けられ、身を擦切らせ続けるという地獄のような話にしか見えませんでした😌🙏💦

そしておそらくこの〈見た目にしても思想にしても、見栄えはリッチで情熱的だけど実は見せかけ〉という印象が本作『ムーラン・ルージュ』が作り上げた印象と実はピッタリ一致しているとも思いました。イイネ!🥳(いいのか)。

👗✨📖🐝「❷はキャラクターたちへのヘイトであって、作品そのものやや演出に悪い印象があるわけではありません~。というかこの映画そのものを体現したキャラクターたちだと思いました🤔見た目豪華でしたし、有名なポピュラー音楽ばかりだったので知っている楽曲が流れるとテンション上がりました🤭✨

恋愛映画は苦手なのですがちょっとずつ見ていきたいな~とは思っている今日この頃だったりします🤔」
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