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僕らの世界が交わるまでのKHのレビュー・感想・評価

僕らの世界が交わるまで(2022年製作の映画)
4.5
「僕らの世界が交わるまで」
タイトルは「交わる所」でも「交わる時」でもない。
従って意地悪な事に、この先「僕ら」が分かり合えるかもしれないし、分かり合えないかもしれない。
このタイトル、映画はそのどちらかを簡単に教えてくれないから、ある人には希望で、ある人には絶望。
この映画では親子、友達、家庭環境など様々な分断が描かれる。
まず初めの親子の分断はこの映画の中心的な存在。
次に家庭環境の分断については、カイルの「大学に行かなかったら、シェルターから追い出されるの?」という言葉は作中で1番ショッキングな分断として描かれる。
幾ら分かり合おうとしても、育った環境が違えば、同じ言葉でも全く別の意味になる。
次に主人公とリラ(好きな子)の分断。
主人公の歌で9ドルの投げ銭を貰った事を、リラは「哀れな人たちからまた搾取した」と激高する。
しかし全くの蚊帳の外の安全地帯からマーシャル諸島の人々を憐れんで保護を訴えるリラと、現に当人が9ドル投げ銭するほど感動させた主人公の歌はどちらに価値があるのか?
リベラルであることは本人にとっては優しさでも、相手方には暴力的な押しつけかもしれない。
もちろんこの指摘は表層的というか、単にレトリックの問題であって、全ての善行を否定する様な詭弁に陥りかねない。
この点で真に世界を表象する言葉なんて存在しないし、難しいバランスの中で壊れそうになりながら、ギリギリを保って生きている。
だからこそ理想論だとしても、お互いに理解しようと努力する以外に道はないと思う。
もちろん作中の親子はこの後も、些細なことで喧嘩して、反省してを繰り返すのだろう。
それでも自分はこの映画はきっと希望なのだと思う。

映画としてはビジュアル、音楽、演技どれも良く楽しんで観れた。
明らかに狭い2人乗りの赤い車、父親と息子の気まずい食卓、たまに入るくすぐりも軽妙で映画にアクセントを与えてる。
またリベラル運動をする彼女たちも、最後は女子会トークをするなど単に皮肉として描いて批判するだけじゃない所も、この映画の厚みだと思う。
観終わった感想としてはグレタ・ガーウィグのライトな「レディ・バード」。もう少し尺が長くても良かったけど、このくらいの軽さがちょうど良いのかも。
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