なべ

ザ・ホエールのなべのレビュー・感想・評価

ザ・ホエール(2022年製作の映画)
2.9
 これも随分前に観たんだけど、見終わったあと言語化できない違和感を感じて、書くのに手こずってしまい、しばらくほったらかしにしてたレビュー。何に引っ掛かっていたのかがわかったので仕上げてアップする。

 太り過ぎて死が迫ってる巨漢の主人公と彼を取り巻く人々の話。元は舞台の密室劇らしく、看護師、宣教師、元妻、娘を巧みに配置し、さまざまな問題(同性愛、宗教、裏切り、罪と罰)を幾層にも重ね、時に交錯させ、複雑な構図を浮かび上がらせる。
 …めっちゃ好きなプロットなのだが、全然おもしろくなかった。アロノフスキーだからかなり期待してたんだけどな。

 恋人、兄、父親、夫、信仰など、大切な人を失って受けたダメージを乗り越えられない人々がぞろぞろ出てくる。いや、全員がそう。見た目やキャラは違うのに、なぜか全員喪失感に悩んでるの。ついでにいうと、片足をもぎ取られたエイハブ船長が白鯨に執着するのも同じ。
 みんながみんな同じように思考し、傷つき、苦悩してる。なんでやねん。舞台が監獄や男子校とかならまだ価値観や思考が似通うこともあるだろうけど…。「ホエール」じゃなくて「喪失」ってタイトルならまだ受け入れやすかったかもしれん。
 せっかく出てる役者が一癖も二癖もある連中なのに、全員中身が同じなのはつまらん。
 作者の自己投影なのか。よほど自分の話をしたいのか、あるいは自分以外の人間に興味がないのか、もう少し価値観や人生観の異なる人間を出してくれないと。
 たとえば過去の過失など楽々乗り越えて毎日陽気にポジティブに生きてる人いるよね。
 あるいは努力しても報われない人や、お金がなくて希望が持てない人がいてもいいじゃん。生き方も悩みも十人十色。なのにここに出てくる人は一律に喪失した人なのだ。
 チャーリーに亡き兄の姿を重ね(代償行為)、彼をケアする看護師リズもそう。教会の金を持ち逃げして挫折したモルモン教宣教師(劇中では差し障りのないネーミングに変更)トマスもまた(信仰を)失った人だ。
 チャーリーの娘エリーも父親を失って傷ついてる。予告編を見たときは不協和音のアンサンブルを期待してたのに、蓋を開けたらユニゾンだったというねw

 そもそもこのチャーリーにまったく共感できなくて、彼を受け入れるのにすごく難儀した。カムアウトして(家族を捨てて)、追ったカレシを亡くし、悲しみに暮れて暴飲暴食って…。それどんなアイディアだよ。まあ肥満大国の米国では“太ってるのは何かしらを失った人”みたいな約束事があるのかもしれんけど。
 ぼくには彼が覚悟のないだらしないデブにしか見えなかったんだよ。愛を貫いたんなら、相手が死んだあともひたすらまっすぐ愛し抜けばいいじゃん。むしゃむしゃ食ってどうする。美しい容貌だったから、肥満によって醜くしようって罰? それとも食べまくってゆっくり死に至る壮大な暴食プロジェクト? なんだそれ。あほなのか。絶望して悲しくて自分が許せないならさっさと死ねばいいのに(デリカシーのない表現をお詫びします)。
 ピザ屋の配達員にデブった姿を見られてムキー!とピザを食いまくるところなんて、あれ、そんなに嫌なんだ。恥ずかしいんだ。何を今さらと呆れた。ましてや、ゼミの受講者にブチ切れるなど言語道断。理解不能。どんだけ小さい男なんだよ。
 ちなみにぼくは舌癌と戦って顔半分が崩壊した人を見ても悍ましいとは思わないし、巨漢の大男を見ても“すっげーデブった人”とは思っても悍ましいとは思わない。WEB講座に参加する学生が一様に不快感を示してたけど、そんな表情を見せないだけの思慮も常識もある。普通はそうだよね。違うの?
 ぼくが不快に感じることがあるとしたら、映画館でデブに挟まれて、汗ばんだ腕をぬちゃっとくっつけられ、汗臭さと、荒い鼻息でデュエットされるときくらい。
 ラスト、過去に娘が書いた「白鯨」のエッセイを読み上げて、なんか和解してたけど、それで昇天できるのか? 白鯨の内容と自分の境遇を絡めてて、確かに上手だとは思ったが、それで父娘に戻れるのはなんか簡単だなと拍子抜けした。ただ、足が浮いて昇天する様子はなかなかよかった。あの重いものが浮かぶ感じは褒めとく。
 歳とともにぼくの涙腺はめっきり緩くなったが、チャーリーのために流す涙は一滴もなかった。ブレンダン・フレイザーがどれほどがんばっててもだ。
なべ

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