上田

ザ・ホエールの上田のネタバレレビュー・内容・結末

ザ・ホエール(2022年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

始まってすぐ感じられたすごい閉塞感で、レスラーを連想してめっちゃ期待感高まった。


巨体のチャーリーの健康状態は極めて悪く、いつ死んでもおかしくない状態だが、貯蓄はあるものの医療保険に入らず、病院へ行くことも頑なに拒否する。
過去に恋人のアランが拒食によって死亡したのがトラウマとなり、過食状態にあるようだ。フライドチキンを食べるシーンがグロテスクで痛々しい。

アランは妻子ある既婚者であるチャーリーと、同性愛者のカップルとして駆け落ちしたことで、教義に反し、信仰と家族の愛を失い、最終的に命も失った。
チャーリーの過食は、恋人を死へと追いやった罪の意識による自傷行為で、緩慢な自殺なのだろう。



一方で、寿命を悟ったチャーリーは、過去に自分が捨てた娘のエリーと再会し、彼女を必死に救おうとする。エリーは世の中のすべてを憎み、周囲から孤立し、歪んだ人格のまま成長しつつあるのである。
もちろんチャーリーに捨てられたことが原因なのでエリーはチャーリーを拒絶する。チャーリーは高校の課題の代筆と、お金をちらつかせてなんとかエリーを繋ぎ止める。

エリーに対して罪を償いたいなら死を選ばずにまず痩せて、生きようとするのが道理では?これだからデブは…。
と思わなくはないが、エリーとアランへの罪の意識の間で板挟みになり、自分を傷付けるしかなかったのかもしれない。チャーリーは弱いが、優しい人なのかもしれない。



そんなチャーリーは、一つのエッセイに異様な執着をみせる。
メルヴィルの「白鯨」について、何者かが書いたエッセイである。
映画のなかで断片的に読み上げられるそれは、
・白鯨という物語は、冗長な描写により、悲しい結末を先送りにする。
・鯨を殺すという強迫観念に囚われたエイハブの人生は悲しい。鯨にはそれに対するなんの感情もないのだから。
といったような内容が語られている。

死人への罪の意識に囚われ、緩慢な自殺を行うチャーリーの人生とこのエッセイの内容は重なる気がする。

発作が起きるたび、チャーリーはこのエッセイを読み上げる。
「とても良い文だから。死ぬ前にもう一度聞きたいのだ」と。



映画のクライマックス、瀕死のチャーリーは娘のエリーと対面する。
今際の際、泣きながらチャーリーは娘へ心からの謝罪をする。君にひどいことをした(今さら?)。どうしてあんなことをしてしまったのか自分でも分からない(それはアランに酷くないか?)。君は僕の最高傑作だ!(どいういうこと?)

エリーの手には例のエッセイがある。あのエッセイはかつて、幼いエリーが書いたものだったのである!
助けたいならそれを読んでくれ!チャーリーは必死の形相で乞う。

どうして、パパ!!エリーは涙ながらにエッセイを読み上げる。
苦難に満ちたチャーリーの人生を投影したエッセイの最後にエリーはこう言う、「この物語は、私に人生を考えさせ、良かったと思う。」

チャーリーの身勝手で悲惨な人生は無駄ではなかった。自分の娘(最高傑作)の人生の糧となったのである。娘からの人格否定オナサポASMRに大満足したマゾ豚チャーリーは、一人で勝手に気持ちよくなり、めちゃくちゃ気持ちよさそうな表情で昇天、自分はしっかり救われてエンドロール。



マジで身勝手でどうしょうもない、しかしどこか共感してしまう主人公だと思った。
でもレスラーのときはたぶん謝ったりとかはなかったと思うのでそこは監督の心境の変化のようなものを感じた。

アロノフスキーの映画はやっぱりすごい。
めっちゃ面白かったし噛みごたえしかなかった。
上田

上田