くまちゃん

雄獅少年/ライオン少年のくまちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

雄獅少年/ライオン少年(2021年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

脆弱な主人公が特定のスポーツに魅了され、仲間とともに頂点を目指す。
その使い古された青春サクセスストーリーは観客へコンスタントに感動を与えてくれる。決してスーパーヒーローではないキャラクター達に感情移入してしまうからだ。しかし、今作にはその想像を遥かに超える圧倒的な熱量がある。何万ジュールと滾り続け沸点に到達したと同時に訪れるエクスタシー。獅子舞競技という独自性がありきたりな物語を未知なる世界として奥行きを切り拓く。

中国獅子舞とは古来より親しまれた民間芸術の一つであり、武術、技芸、演劇の特長を併せ持ち、「ヤング・マスター」にてジャッキー・チェンが披露していた事でも広く知られている。

冒頭水墨画のようなタッチで躍動する獅子と黄飛鴻の説明が流れる。血管はち切れんばかりのハイテンションな千葉繁によるナレーションは聞くものの心を掴んで離さない。

黄飛鴻は広東十傑に数えられる近代中国における最大の武術家の一人である。
農民たちに武術を教え、自警団を率い民間レベルで荒れる時代の混乱を防ぎ、さらには官軍や警察にも洪家拳を教授し治安維持に務めた。その功績は英雄視され、戦後様々な黄飛鴻映画が制作された。その中で最もメジャーなのがジャッキーの「ドランクモンキー 酔拳」とジェット・リーの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」だろう。
同一題材で制作された映画としてギネスに掲載されるほど国民から愛されてきた黄飛鴻は無影脚と呼ばれる足技を得意としその速さから影をも視認できず、驚異的な破壊力を誇ったそうだ。また獅子舞の名手でもあり、その技術の高さから獅子王の称号を持つ。

獅子舞の象徴となる獅子頭は決して安くはない。自前の獅子頭を持ち、道場にて鍛錬に励む若者たちはそれなりに裕福な家庭であることは間違いないだろう。
両親が出稼ぎへ出ているチュンをはじめ、マオやワン公も恵まれた生活を送っていない。スポーツを題材に貧富の差を如実に描き、そのハングリー精神による貧困世帯の逆襲が大きな軸となっている。

チュンは常に奇跡を願うが現実には奇跡など起こらない。両親の帰宅を願えば父が大怪我を負い、獅子舞を始めれば周囲に馬鹿にされ笑われ殴られる。練習試合試合では相手に歯が立たない。
不条理な世界で仏に祈る事しかできなかった少年が努力によって幸福の一部を掴み取るからこそ、見るものの胸を熱くするのだ。

都会へ出稼ぎへでたチュンは当初のひ弱なイメージを払拭するほど逞しくなっていた。それは日々の過酷な労働によるものと獅子舞によるもの。屋上で獅子舞を演舞する際、練習チェック表や無造作に置かれたバーベル、歩法の鍛錬に用いる丸印などが静かに映され、日々怠る事なく獅子舞の練習に励んでいたことが示される。練習風景を描くのではなく練習風景を想像させるその演出がうまい。

師であるチアンとその妻アジェンは一見すると鬼嫁の尻に敷かれる不甲斐ない夫の構図だが、他人が干渉し得ないレベルで深くお互いを尊重している。
獅子舞の名手だった若かりし頃のチアンは格好良く輝いていた。アジェンはそんなチアンに惚れたのだろう。だが獅子舞を辞めるよう進言したのもまたアジェンだった。理由は二通り語られる。稼げないから、危ないから。二人の将来のためには収入と健康は必要不可欠。両方を失う可能性のある獅子舞はいつしか不安要素となった。富の象徴としての獅子舞。
だがそれは収益化は難しい。日本でも高額なフィギュアスケートクラブに通っている子供がプロになれるのは一握りであるためほとんどが辞めてしまう。
チアンの辿った道は中国における獅子舞プレーヤーの一般道なのだろう。
チアンは獅子舞に未練はあれど引退したことに後悔はなかった。愛する妻と質素ながら幸せに暮らせていたのだから。
だがアジェンは違った。生活と将来のために獅子舞を辞めさせたアジェンは抜け殻のように光沢を失ったチアンに対し後悔を募らせていた。
だからこそだろう。
子供たちに獅子舞を教えるチアンは明るく活き活きしていたが、それを支え、出前先ではクレームに晒されるアジェンもまたどこか晴れやかで楽しそうだ。はじめこそは仕事をサボって獅子舞にうつつを抜かすチアンに強く当たっていたが、獅子舞の中継にチアンが映った時のはしゃぎ様は少女のようであり、チアンへの果てし無い愛情を感じ取ることができる。

全編を通し中国映画の寒いノリのようなものが散見されるが決してノイズではなく、むしろ痛々しい中年と少年たちに絶妙にマッチしている。

獅子舞の描写は荒唐無稽かつエキサイティングなアクションの連続で、疾走感と躍動感に溢れている。ダイナミックにして精緻。まさしく絵に演技をさせている。さらに獅子舞プレーヤーのPOV的な見せ方により、獅子頭を被った際の視界の狭さ、動きづらさ、予想以上の杭の高さ等が視覚的に観客へと伝わる。簡単なようでいて屈強なる精神と鍛え上げたインナーマッスルが必要なのがわかるはずだ。

決して到達できない奇跡の山へ登頂を挑み、獅子頭を鎮座させたクライマックスは「THE FIRST SLAM DUNK」に匹敵するほど息を呑む。
日本人にとって獅子舞とは祭り事のイメージが強い。それは間違ってはいない。噛まれたものは無病息災、健康長寿にあやかれるという縁起物。しかしそれだけではないのだ。獅子舞はこれほど格好良く美しいんだと、我々の心の太鼓を打ち鳴らし、秘めたる情熱に訴えかける。今作は間違いなく今年のアニメ映画におけるダークホースと位置づけられるだろう。
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