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ジェイコブと海の怪物のLCのネタバレレビュー・内容・結末

ジェイコブと海の怪物(2022年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

面白かった。

亡くなった両親がハンターという職業であった少女が、自分も同じように生きようと孤児院を抜け出し、大海原へ。

ハンターとは、海に生息し人へ害をなす大きな生き物を狩る人を指すようで、長年ハンターと海の者は戦いを繰り返してきたらしい。
ハンターはその多くが戦いの中で命を落とすのだけれど、それは喜ばしいこととして認識されているようで、歌まである。

綺麗なアニメーションと可愛らしいキャラクターたちが冒険する、心踊る物語ではあるが、戦争というものの「仕組まれ方」をわかりやすく描いているとも感じる。
少女も愛読していた本は、小説というよりは伝記のようなもので、それは歴史の教科書でもあって、つまり、書かれていることは人々に真実であると認識されていた。
ハンターとして生き、死ぬこと、それを名誉あることだと何世代にも渡って刷り込まれてきた。
少女が孤児院を「人生を謳歌し、最高の死を迎える」と言って出ていく姿を思い返すと、やはり恐ろしく感じる。
その姿は、戦争で儲けたい者が次々と銃に弾を込めてきた結果なのだから。ハンターとして海に出たものは、その銃から打ち出された弾丸であり、ハンターに憧れていた孤児院の少女は、補充された未来の弾丸である。
人々を戦地へ駆り立てて、自分は安全な場所から出てこない者が、儲けをまるっと受け取る。
そんな大きな流れの中に、主人公もいるのだ。

主人公と共に行動することになる人は、「本に書いてあることが嘘なら、真実を知ることは不可能だ」というような発言をするが、これも私たちの抱える大切な問題をよく表していると思う。
今、メディアへの信頼が地に落ちているような状況がある。それでも人々はテレビの中で語られる言葉に目隠しをされるのだ。
また、遂にラファへ侵攻した国の民は、やはり偏った知識の与え方をされており、己の国がたった7ヶ月で非戦闘員である赤子や少年少女たちを2万人近く殺している事実と向き合えない環境があったりする。国内のメディアに意識を逸らされており、他国の者を追い詰め攻撃することを肯定するよう刷り込まれているのだ。被害者が透明化されているので、メディアを鵜呑みにする者には、爆弾や銃弾や戦車で轢き殺された子どもたちの姿が見えない。
作中で「最高の死を迎える」と笑顔で宣言する少女と、何が違うだろう。

知ることと、自分で考えること。
その大切さを、少女と海の者との交流で描き、更には戦の中で忘れ難い痛みや憎悪を植え付けられた者たちにも焦点をあてる。
何故、両親は、兄弟は、戦で死ななければならなかったんだろうか。戦は何の為に始められたのだろうか。名誉の為であってほしいけれど、残念なことに、現実でも戦争というものは儲けたい人が仕掛けるのだ。両親や兄弟は、誰かが儲ける為に死んだのだ。その体を貫いた弾丸は、良い値で取引されるんだ。たくさん売る程たくさん儲けることができる。売れれば売れただけ、誰かの体を貫くのだ。
死ぬことを美しく、時に勇ましく飾り立てる言葉や歌は、両親や兄弟や、自分自身が死んだ時、「サンキューベリーマッチ」の一言となって屍に投げられる。名古屋の誰かが発言したそうですね、戦死者に対してサンキューベリーマッチと。そんな人が選挙で票を集める状況の中で、今私たちは生きているわけだ。

少女の声を聞いた民のように、攻撃をやめた海の者の姿を見てその光景をきちんと受け止めた人々のように、私もそのように在ろうとしたい。
知ることと、自分で考えること。物語のハンターたちは、今も世界中で戦地に送られている。次は私たちが、戦地へ送られるのかもしれない。
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