とめ

カリガリ博士のとめのレビュー・感想・評価

カリガリ博士(1920年製作の映画)
3.7
そういえば、造形性に注意してみてと授業で言われて鑑賞。造形性よりもストーリーを注意してしまったけれど(笑)
わたしはふたつのパターンを考えた。どちらでもいい。気味悪く面白い。



セットの造形美に着目しろ、と。

主人公がみたものは真実なのか、そうでないのか。
私たちは、彼がカリガリ博士を狂人だと妄想して創りあげた物語を観たのか、それともカリガリ博士という権力に捻じ曲げられてしまった真実を観たのか。
一人称のストーリーで、その一人称である人物に問題があったことが最後に暴かれる展開は、今や使い古された感じはある。だが、それでもなお、訴えかけてくるものがあった。
真実はどこにあるのか。
その真実は真実として受け入れられるのか。
普通とは、狂気とは、なにを指すのか。
現実的でないセットのなか、現実味を帯びた疑問を提議される。
主人公が狂人だったとして、主人公は決して自分が狂人だとは思っていない。彼の中の普通が一般的な狂気に属しているだけなのである。
そして、主人公が狂人でなかった場合、狂人はカリガリ博士の方である。だが、彼も、自らが世間一般的な普通から外れ、一般的な狂気が自らの普通に位置することをながら、それを隠しはするが、やめることをしない。自分の(一般的にみて)狂気染みた欲求を満たすことを抑えようとはしていないのである。
ただ、彼らどちらが狂人だとしても、どちらも狂人であったとしても、自分が考え信ずることには寸分の疑いもみせなかった。私が信ずることは正義だと、さながら押し付けるように自分に関しては妄信的であった。

芸術の思想と表現の講義で鑑賞。そのレポート。
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