アー君

NOPE/ノープのアー君のレビュー・感想・評価

NOPE/ノープ(2022年製作の映画)
3.7
“最新” の “撮影機材” であるIMAXカメラで撮影したこの映画を存分に”見て”楽しんで下さい。

予告と本編のギャップがあまりなかったのが鑑賞後の印象。一回見ただけでは皆様は内容を理解しづらいのではないかと思われる。

結局UFOは井戸のポラロイド撮影をするが、これは初IMAX撮影に対しての矛盾した皮肉であり、いかにもジョーダン・ピールらしかった。

エドワード・マイブリッジは画家のフランシス・ベーコンが絵を描くときに参考する写真家と言っていたので、その知識があり、ある程度の伏線に向けたラストやオマージュは漠然と予想はできたのだが、それで逆に振り回されてしまい一回視聴しただけの全体像がつかみきれないレビューとなるのでご了承ください。

脚本の進行として気になったのは、父親が何らかの未確認飛行物体から攻撃を受けて死亡。OJと妹エメラルドがエイリアンの証拠写真を撮影するくだりや、ジュープのエイリアンを見せ物にするところの流れが不鮮明で分かりづらかった。もう少し具体的な状況を映像や構成力で見せないとこれでは理解しづらい。編集担当者を変えるだけでかなり作品の深さが変わっていくと思う。

章ごとに分けたのも内容をややこしく複雑にさせている気がする。アジア人の元子役スターであるジュープ(WDでお馴染みのキャラ)が子役時代に撮影中のトラブルがあったが、未確認物体との連動性が分かりづらい。あのシーンは必要ないのではないかという意見もあるとは思うが、ストーリーとしてではなく監督個人として重要な要素である。デリートではなくセクションとして区切らないやり方であれば溶け込むので、進行に問題はないと思う。

ジュープのシーンはジョーダン・ピールの一連のスタイルであれば、そのような問題提議をするのは理屈としてわかる。チンパンジー・コーディーの暴走は監督自身の投影(もしくは黄色アジア人のメタファー)であり、アジアの黄色人種である脇役ジュープと同じ見せ物のように差別を受けている関係のため、攻撃はせずに同胞として手を差し伸べてきた。(偶然「上」に立った靴を凝視していたのでコーディーを「見なかった」から助かったという解釈もあるが、私は違うという見解)

兄妹のキャスティングは寡黙な兄、饒舌な妹という対照的な分かりやすい設定はユニークだったと思う。しかし前述したが父親との関係のシーンがなかったので、身体を張ってまで撮影してお金を稼いで有名になりたいのだろうか。また妹エメラルドも最初は多動的な印象があったが、後半はOJぐらいに冷静になっていったので性格描写に微妙さがあった。

じらしてやっと現れた未確認飛行物体の全体像のCGバリバリでカッコよくなかった。さらに何でも吸い上げるけど、生態としての目的は結局何だったのか? 大衆心理の偶像なのか? ピールならではの物語の骨組として科学的根拠による説明は欲しいところ。

全体的な進行はゆっくり動きながら、唐突に話が飛ぶので編集を分かりやすくして欲しい。また余計かもしれないが、なんとなく焦らし方がシャマランぽいのも気にはなった。

総合評価になるが、個人的には全然怖くなかったのはマイナスである。聖書の抽象的な解釈については、学識がある他のレビュアーを参照して頂きたい。

前作「ゲットアウト」「アス」よりも作品の完成度は良くはなっている。そしてスピルバーグ「未知との遭遇」「ET」「ジョーズ」の影響は確かにあると思う。だが、このクラシック作品を越えられずに、コラージュをしながら自身の作家性を取り入れた感じもした。

「見る側(能動)」「見られる側(受動)」との相関的な関係をSFホラーで伝えたかったのかなと思うが、個人的に数値にするのが難しくリピートや日によって変動がする作品である。(だいたい3.0〜3.7ぐらい)

この映画で生き残った白人は殆どいない。

それはジョーダン・ピールが青春時代に受けたであろう差別に対する葛藤や憎しみだろう。そこはとても同情はする。しかし差別は誰もが抱えている問題である。

元はコメディアンで「笑われる側」で差別をされるポジションであったが、作り手にまわった事で、少女の損傷した顔を見て「笑う側」となった。脚本家の故ジェームス三木は気に嫌いな俳優を物語の中でよく殺したりしていたらしい。逆に「差別をする」位置についた自分自身に客観性はあるのだろうか。

彼の場合は複雑で黒人の父親と白人の母親のハーフである。コーディーの暴走に戻るが、過去の実話の事件を少しベースにしているが、特に白人の少女に対しての執拗に顔面を変形させるほどの攻撃性とその後の晒し方には、作者の異常な劣等感を読み取れる。
この映画に父親の影が薄いが、母親は存在すらしていない。ジョーダン・ピールの母親(白人)との親子関係にどこかシコリがあるのではないのだろうか。これはある意味では外よりも家庭の内面による葛藤で無意識に「母親殺し」を成立させている。

それゆえに今後もマイノリティの問題を“隠し味”としたテーマで製作し続ける事にはどこか疑念が残る。

[イオンシネマ板橋 8:30〜]
アー君

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