河

NOPE/ノープの河のレビュー・感想・評価

NOPE/ノープ(2022年製作の映画)
4.4
引くほど面白かった なんも考えずにIMAXで見たけどDUNEとかトップガン並みのIMAX映画だった

凋落した過去のハリウッド(西部劇)にはスペクタクルにさせられ、挙句に映画史から名前を消された人々だけが残されていて、今や移民の所有するものとなっている。奪ってきた側の人々は既にそこから去っていてグリーンスクリーンの前で変わらず暮らしている。

猿、中盤に登場するあれはアジア人や黒人と同じくスペクタクルにさせられた側の存在でその復讐を遂げようとする。それは消えゆく過去の映画と重ね合わされる。その渦中で主人公兄妹はハリウッドによって奪われてきた馬、過去の映画を取り戻そうとする。

映像的にも構成的にも映画的な良さに溢れた上手い映画だった『アス』と対照的に、そこから逸脱した独自の文体を持った映画、ムラのある映画で、それが中盤以降の無軌道な移動、それを見上げる視線と響き合っていると同時に、映画を取り戻そうとする戦いのあの熾烈さはこの文体でしか表現され得ないものなんだろうなと思う。そもそもスペクタクルにされた存在達の話だから、スペクタクル的な撮り方はしないという意志が表れたものなんだろうとも思う。

メタ的な捉え方をすれば、この映画自体が自分達の映画を自分達の文法によって取り戻したものにもなっているように感じる。

スペクタクルにさせられる側=見られる側であることを自分に強いてしまっている主人公は見る側を見ないようにしていて、それが目が合うとパニックになる馬と重ね合わされる。そして主人公の盗み見るような視線は中盤のやつを映すカメラの動き、監視カメラとも連動している。

主人公が見る側=カメラを向ける側へと反転した時、同じくこの映画自体の対象の撮り方も大きく変化する。

アジア人に関しては白人向けのアジア人を演じて白人社会へと同化した人物で、白人の妻を持って白人の去った後のハリウッドを占めるようになる。しかし白人に同化しようとても自身は見られる側のままである。抑圧されてきた子役時代、同化と真逆の方向に走った分身が猿ということなんだろう。

白人になろうとするアジア人、そしてその分身たる動物が猿っていうのは主人公兄妹に協力する白人2人と同様にかなり皮肉の込められた造型だと思う。見られる側のまま白人としての運命を辿るのでかなり悲劇的な造型でもある。

彼の造型がMCU含めた最近の映画に出てくるアジア人の造型と近いことを考えれば、それが今映画側から求められているアジア人像で、彼はそれを演じることで白人社会に同化しているということなんだろう。

アジア人と猿、主人公兄妹と馬は対比的におかれていて、その二つが辿る対照的な結末は20年前と今という以上に、人種の違いによる奪われの形・歴史の違い、そもそも取り戻したい何かがあるのかというところに由来するように思う。このアジア人の描かれ方について考える時に、その違いについても考える必要があるんじゃないかと感じる。
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