ナガエ

人生クライマー 山野井泰史と垂直の世界のナガエのレビュー・感想・評価

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2021年、山野井泰史は、登山会で最も権威のあるフランスの「ピオレドール賞生涯功労賞」を受賞した。過去受賞した人たちも、名だたるクライマーだという。

しかし、どうもそういう説明をされても、山野井泰史の凄さを理解するのは難しい。

映画の中で、彼の凄まじさが理解できる描写があった。2005年に山野井泰史が単独で登攀した、中国のポタル北壁に関する話だ。

山野井泰史が初登攀したルートを、2013年、中国人3人のクライマーが挑戦したそうだ。彼らのクライマーとしての実力は説明されなかったが、そもそもポタル北壁に挑戦することがかなりの難易度のようなので、そこそこレベルではない、かなり高い技量を持つクライマーなのだと思う。

そんなクライマー3人が共同で登攀に挑戦したにも関わらず、彼らは2013年の時点では失敗、その後2020年までの7年間に5度挑戦し、5度目でようやく登攀に成功したというのだ。3人の優秀なクライマーが一緒に登っているのに、4度も失敗したルートを、山野井泰史は初挑戦で単独で登っているのである。

しかも凄いのはこれだけではない。

山野井泰史は2002年、ヒマラヤの難峰である「ギャチュン・カン」に妻の妙子と共に挑戦、無事登頂を成功させたが、下山途中うで雪崩に巻き込まれてしまう。この事故で山野井泰史は、手足の指を合計10本も失う大怪我を負った(妻の妙子は、それ以前の凍傷で既に失っていた指をさらに切断せざるを得なくなった)。

山野井泰史は、両手の薬指・小指がない。右足だったと思うが、5本の指がまったくなかった。そして、ポタル北壁には、そんな10本の指を失った状態で挑戦し、登頂を成功させているのだ。

これだけで、彼がいかに凄まじいクライマーであるのか理解できるだろう。

彼は、他のクライマーと何が違うのかと問われて、「単独での登頂にこだわっていること」と言っていた。8000m級の山に単独で挑むクライマーは、世界でも5~6人しかいないだろう、と。

しかし彼は、既に単独での登攀を止めている。理由は、手足を失ったことではない。信じがたい話だが、彼は奥多摩の自宅近くで熊に襲われた。その怪我で鼻呼吸がしづらくなり、高地順応が上手くできなくなってしまったそうだ。それを機に、単独での登攀を止めたそうだ。

改めて監督が、「なぜ単独登攀を止めたのか?」と山野井泰史に問う場面がある。そこで彼は、長く思い悩むような沈黙の果てに、

【一人で登る孤独に耐えられなくなったのかなぁ】

とぼそりと答えた。「あれほど強い孤独を、他の行為で経験することってあるのだろうか」とも言っていた。

まあ確かに、それはそうだろう。1000mもあるような岩壁や氷壁を、身一つで登っていくのだ。高校卒業後、進学も就職もせずに向かったヨセミテで彼はある岩壁を登ったのだが、途中でビバークを繰り返しながら、登り切るまでに8日間掛かったと言っていた。最後の3日間は碌に食料もない、と。

しかし彼は、先程とは別の場面で「再び単独登攀に挑戦したいか?」と聞かれ、

【ある。頭おかしいんだよね。でも、ヤケクソじゃなくて、冷静に考えてみても、またやりたいって思うんだよな】

と言っていた。達成感が凄いのだそうだ。映画の中で、「単独登攀に挑んで命を落とす者が毎年出る。どうして単独で挑もうとするのか山野井さんに聞いてみたい」と語る人物が出てくるが、それに対して彼は、

【全部自分でやったんだって思いたいんじゃないかな。少なくとも俺はそう。少なくとも、記録を狙ってるとか、そんなんじゃないと思うよ】

と言っていた。

しかし、もっと若い頃に撮られた映像では、少し違うことを言っていた。

【毎回答えが違うんだけど、2人より3人より、充実感が大きいでしょ。
あと、1人に方が怖いでしょ。技術的にも難しい。その方が充実感があるよね。
あと、これはどうかなと思うんだけど、他人のことを信用してないっていうかね。
自分1人で登ってる分には落ちないし、死なないって思う。】

山野井泰史は、「自分ほど慎重なクライマーはなかなかいない」と言っていた。妻の妙子も、「能力的な意味では泰史よりレベルの高い人はいると思うけど、登攀を成功させるための準備やトレーニングに何が必要なのか、そういうことを考える力が優れているんだと思う」と言っていた。

そんな山野井泰史が、「自分と同じくらい慎重」と驚いたクライマーがいる。ずっと以前から憧れの存在だったクルティカだ。クルティカは、山で一度も怪我をしたことがないそうだ。捻挫すらないというから驚きだ。

山野井泰史には、生涯目標としていた氷壁がある。マカルー西壁だ。その存在を雑誌で知った山野井泰史は、「憧れのクルティカでさえ断念した」ことに衝撃を受け、それ以来、いつか挑戦すると誓っていた。マカルー西壁について山野井泰史は、「完璧な課題」という言い方をしていた。世界的には、「ヒマラヤ最後の課題」と呼ばれているそうだ。現時点でも、アルパインスタイル(最小限の装備のみで登ること)でマカルー西壁を攻略した人間はいないらしい。

そしていよいよマカルー西壁への挑戦の時がやってくる。彼が日本で荷物のパッキングをしている時に、監督が彼に「生きて戻って来られると思いますか?」と聞く。その答えが、映画の中で最も好きな場面だった。

【死ぬかもしれない、と結構思ったりしますけど、「死ぬかもしれない」っていうのが重要なんですよ。それがなかったら面白さが半減してしまう。
生きて戻って来られることが確実なら、最初から行かないよ。】

これは分かるなぁ、と思う。もちろん僕は、山も岩壁も登らないし、命を懸けるような何かをしているわけではない。ただそれが何であれ、「確実に上手くいくと分かっていること」に興味を持てることはあまりない。「上手く行かないかもしれない」と思うから面白いのだと思う。だから観る映画を選ぶ際も他人のレビューは読まない。また、「何らかの配信サイトで観られる=一定以上の評価を受けている」と判断できるので、基本的に映画は映画館でしか観ないと決めている。

しかし世の中はどんどん逆の方向に進んでいる。様々な評価が星の数などで可視化され、料理でも音楽でも本でもなんでも、「いかに失敗・駄作を回避するか」という発想になってしまっている。つまらん世の中だ。

そんな風に考えると、ちょっと話はズレるが、山野井泰史の母親はかなり面白いし興味深い。

山野井泰史が高校を卒業する際、学校から電話がかかってきたそうだ。数百人いる卒業生の中で、進学も就職もしないのはあなたの息子だけだ、と。それに対して母親は、息子が山登りをしたいというのなら私は止めない、犯罪に手を染めようとしているのなら止めるが、そうでないなら自由にやらせるつもりだ、と返したそうだ。素晴らしい。

さらに、山野井泰史が手足の指を10本失った際のエピソードも凄い。夫婦で同じ病院に入院しており、山野井泰史の母親は毎日のように病室に来ていたそうだが、そこで妻の妙子に、「泰史はまた山に登るよね?」と聞いてきたそうだ。もちろんそれは、「また登ってほしい」という意味だ。普通に考えれば、手足の指10本失って、それまでと同じような登攀ができると思う人間はいないだろう。山野井泰史自身も、入院中は「もう無理だろう」と考えていたそうだ。そんなタイミングで、「息子には山しかないのだから、なんとかまた山に登る人生に戻ってほしい」と願う母親は、なかなかクレイジーで素晴らしいと思う。

小学生の卒業文集で「無酸素でエベレストに登頂する」と書いた山野井少年。当時まだ達成した者がいなかったそうで、「自分が世界で初めて達成するんだ」と考えていたそうだ(調べてみると、彼が文集にそう書いた直後に、世界で初めて無酸素エベレスト登頂が達成されているようだ)。

映画の冒頭で彼は、

【山で生きていこう、などと一度も思ったことはない。登山で生きていこうなんて考えたこともなかった。】

と言っていた。半年後にあの山を、1年後にあの山を登りたい、そういうことだけを考え続けてこれまで生きてこれた、いい人生を歩んでいると思う、と。

そろそろ肉体的な限界が来るだろう、しかしそのことは決して残念ではない、と語る彼には、まだまだ目標がたくさんあるようだ。
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