chiakihayashi

PIGGY ピギーのchiakihayashiのネタバレレビュー・内容・結末

PIGGY ピギー(2022年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

 映画祭の会場の入口でばったり会うことも多い若きフェミのシネフィルさんが教えてくれた映画で、この血まみれのヒロインの画像を見たら、見に行かないわけにはいかないっショ。

 ブタ呼ばわりされ、学校の女子から執拗なイジメに遭っているサラ(16歳のサラを演じるのは舞台で経験を積んだ35歳!!!のラウラ・ガラン)がヒロインで、連続殺人鬼に追い詰められ、遂には血しぶき浴びる対決に至るリベンジ・ホラー!

 スペインの小さな田舎町。スペイン語には「小さな街、大きな地獄」という表現があるという。娘を愛していないわけではないのだが、つい世間体の方を気にしてしまって口やかましい母親、精肉店を営む父親は一見サラへのあたりは普通ではあるのだけれど、実は無関心なだけ(こういう親ってよくいるよね)。どこにも居場所のないサラがチョコバーを隠れてヤケ食いするのも無理もない。

 暑い夏のある日、独り、川をせき止めたプールに出かけたサラはまたもや3人のクラスメイトにイジメられると同時に、怪しげな男にも出遭う。帰り道、その男の車に拉致されて助けを求めるクラスメイトの姿を目にする。さらに怖ろしいことに加害者の男は、ビキニの水着姿で震えながらトボトボ歩くサラに、車からバスタオルを出して地面に置くのだ。彼はサラが目撃したことを知っている!

 町中からのけ者扱いのサラの訴えを誰が聞いてくれるだろう。サラは沈黙し、サラを監視し付きまとう男に脅えることになる。同時にサラのうちに、恐怖と裏腹に微妙な想いが生まれる。パンフレットの監督の言葉を借りれば、「サラ、セクシーでミステリアスなこの男は、君を求めている。彼は君の中に何かを見ている。望まれるだけでも十分だろう」というような構図が浮かび上がるのだ。それは決して恋ではなく、サラが内面化しつつ苦しんできた抑圧が生んだ恋モドキの幻想にしか過ぎないのだが。

 行方不明になった女の子の親たちが必死の形相で捜索を始め、新しい死体が見つかり、遂にはサラは独りで男の隠れ家であり屠殺場(!)でもある廃工場で、ナイフを持った男から逃げ惑う羽目になる。そこで彼女の目の前に現れたのは天井から縛られてぶら下がっているイジメっ子の2人だった・・・・。
 「助けて!」と泣き叫ぶ2人。その時、サラの手には家から持ち出した銃が。
 
 この作品のキャッチコピーのひとつは「殺すか、見殺しか」。
 けれども、私はサラがこのクライマックスの場面でイジメっ子たちに復讐するなんて、毛ほども想っていなかった(と、後になって気づいた)。もちろん、ここでサラが彼女たちを死に追いやれば、当然ヒロインたる資格はないわけだが(人間としてもコワレてしまうだろう)。
 サラはギリギリの土壇場で否応なく脱皮し、自分の力を取り戻す。そのプロセスを、監督いわく「サラは秩序を立て直すのではなく、貪って壊すのです」。

 この映画が優れて新しいのは、ヒロインが犯人の男に我知らず惹き寄せられていく微妙な描写だ。エロス的な欲望には、言わば道徳的な秩序の侵犯をものともしない衝動がひそむ。男はそれを力ずくの性的行為の言い訳にしてきたのだが、女だって内なるその衝動を見ないことにはできない。それが無いというフリをするのは女自身を弱くするだろう。〝悪の誘惑〟の試練に打ち克たない正義が薄っぺらなように。
 あの男はサラに撃たれてしかるべきだったと思う。連続殺人の犯罪は法が裁くだろうが、さんざんに自らのエロス性を抑圧されてきた女性の芯になお息づくイノセントな部分、切ないほど脆弱なその部分につけ込んだ男に、復讐という罰を下すのは、彼女自身でなければならなかった。限りなくオゾマシイ設定を生き抜いたこの巨体のヒロインは、多くの女たちのシンボリックな尖兵なのだ。
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