真一

原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たちの真一のレビュー・感想・評価

4.0
 原発再稼働への動きを加速させる政府、与党、電力業界、マスコミといった巨大勢力の同調圧力に屈せず、勇気を持って「断固NO」の判決を言い渡した裁判官がいた。福井地裁の裁判長として関西電力に対し、大飯(おおい)原発の運転差し止めを命じた樋口英明(ひぐち・ひであき)さんです。

 樋口さんは、権力側から蛇蝎のごとく嫌われ、敵視されたこの歴史的な司法判断を、なぜ下したのか。リベラル派というわけでもなく、左派というわけでもなく、原発についての造詣が深いわけでもない樋口さんを「原発NO」へと突き動かしたものは、何だったのか。本作品は、退官した樋口さんの貴重な証言を収録するとともに、後に樋口判決を葬り去った二審判決にも言及する。民主主義における司法の独立の重要性と、それを守るのは私たち一人一人の声だという事実を明らかにしていくドキュメンタリーです。

 人類史上に残る原子力災害となった東京電力福島第1原発事故から、わずか3年後の2014年。再び原発推進に舵を切った安倍政権の下で、関西電力は、定検中だった大飯(おおい)原発3、4号機の運転再開を目指していた。これに対し、地元住民らは、福井地裁での訴訟で運転差し止めを主張。これに耳を傾けたのが、裁判を指揮した樋口さんだった。さまざまなデータを突き付けて「安全基準を満たしている」と繰り返す関電の主張を退け、同年5月に出した判決文にこう書き記した。

「この地震大国日本において,基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しである」

 「大飯原発に大地震が来るわけがない。反原発をあおるな」という政府、電力会社、原発専門家の大合唱を、門外漢の樋口さんが一刀両断に切り捨てた瞬間だった。よりどころにした論拠は、日本国憲法が保証する生存権の不可侵性だ。後日、退官した樋口さんが、原告弁護団長との対談で語る。

 「原発が危険だと思ったら止める。思わなかったら、止めない。そう考えて、審理に臨んだのです」

 これこそが「常識」と言われるものだと痛感した。

基準値振動をクリアしたとか、なんとかレベル未満に収まったとか言っても、巨大地震が来たらフクシマの二の舞ではないか―。こうした国民の常識を物差しに、樋口さんは判決を下したのだった。

 この判決は、18年7月の名古屋高裁支部判決により破棄された。最高裁での敗訴確定を恐れた原告側が上告を避けたため、訴訟はこれにて確定した。原発に反対する人々に希望を与えた樋口判決は、歴史に埋もれつつある。そして「原発事故はあり得ない」とする「安全神話」が、再び猛威を振るっている。そんな中、樋口さんは今、あの樋口判決に込めた思いを車座集会や学習会で語り続けている。決して上手なスピーチとは言えないけれど、一市民として、真剣な眼差しで訴える樋口さんの姿に胸を打たれる。

 ニュースを見れば、国と東電は今夏のうちに、あの福島原発から出た「処理水」を、太平洋に放出するという。処理水は、放射能まみれの汚染水を、ALPSという装置を使って「浄化」した水だ。「処理水は安全に決まっている。危険だと主張するのは、風評被害への加担だ」と訴える国の言いぶりは、福島事故が起きる前に「原発は絶対に安全」と偉そうに主張していた当時の専門家とそっくりだ。樋口さんがよりどころにした「国民の常識」が、ないがしろにされている気がしてならない。本作品を観て、そんな感想を抱きました。
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