広島カップ

原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たちの広島カップのレビュー・感想・評価

4.0
様々な社会問題がある中で、私はとりわけ原発問題に対して関心があります。それには訳があって、実はもう他界している私の父が原子力村※の村民だったからです。

約半世紀前、私が子供の頃にTVドラマ「3年B組金八先生」のオープンニングに映る事でお馴染みの足立区を流れる荒川の土手の上を父と二人で散歩をしていた時、父は原子力発電の仕組みを嬉しそうに得々と私に話して聞かせてきました。今でも覚えていますが「そのうち石油は無くなるんだから原子力は必要なんだ」「放射性廃棄物を何処に捨てるのかはまだ決まっていないんだ。でも技術が進んで将来は解決される予定だ」等々。
父は福島の原子炉の見積りやら原子力船むつの設計にも関わっていたようです。ある日、我が家の朝食の食卓に点いていたNHKのニュースに原子力船むつの放射線漏れのニュースが唐突に流れた時、「そんなの遮蔽を増やせばいいんだよ!遮蔽を増やせ!」と険しい表情でTVの方を睨みつけ怒鳴ったことも覚えています。おそらく自分が関わった仕事に対してNHKにケチをつけられたと思ったのでしょう。

東日本大地震が起きたあの日父は病院のベッドの上にいました。3月7日に胆管癌の手術を行い術後麻酔で四日間眠らされ、丁度あの日が麻酔を外す日でした。私と母は麻酔から醒めた父に面会する為に病院に向かっている最中に揺れが来ました。

父は家族思いで家族の為に真面目に働いた人でした。
大して遊ぶ事もせずに趣味といえば囲碁将棋に読書、私と同じく映画鑑賞にジョギング。念願だった自分の家を千葉県柏市に建て悠々と老後を過ごそうとしていた矢先でした。
癌と原発事故。
汗水垂らして働いた結晶としての持ち家のその屋根や庭の上に福島から放射能が降って来ました。原発の爆発によって空中に舞い上がった放射性物質が雲状(プルーム)となり上空の風に乗って移動し我が家の上で雨となって降り注いで来たのでした。
柏市は首都圏のホットスポットと言われ、我が家の雨樋の下の窪みに屋根に降った放射性物質が集積された線量は1.318μシーベルト。
当時、私の娘で父の孫娘は満一才。父にとって誰よりも可愛いその子が暮らす家の上に父が関わった原発が産生した放射性物質が降り注いだのでした。
大分理性的な判断がつき難くなっていた晩年の父は、素人の私でも当時のニュースから聞き知っていたセシウム137の半減期が30年であることを告げると「そんなに長いのか」と暗い表情をしたのも昨日のことのように覚えています。
父は退院後一年をその家で過ごして亡くなりました。

昔話が過ぎました...

本作はタイトルが示す通り反原発の動きを紹介するドキュメンタリー。
2014年関西電力大飯原子力発電所の運転停止命令を下した福井地裁。本作で紹介されるのはその時の裁判長であった樋口英明さんの展開した樋口理論。

「日本の原発は地震には耐えられない。よって原発の運転は許されない」
樋口さんの出した判決の結論。
(2014.5.21福井地裁:関西電力大飯原発3・4号機運転差し止めを命じる判決。2018年名古屋高裁にて運転停止命令が取り消される)

地震の大きさを示す単位は震度やマグニチュードで表わされ、地震が起こると両者は速報で目や耳にする。
もう一つ、観測地点での地震の加速度を表すガルという単位でも表されるがこれは発生時に直ぐには伝えられなくて我々には馴染みが薄い。
原発がこの加速度までは耐えられるという耐震性を表す基準地震動はこのガルで表される。
例えば...
川内原発1・2号機--620ガル
伊方原発3号機-----650ガル
高浜原発3・4号機--700ガル
大飯原発3・4号機--856ガル
(いずれも現在稼働中)
これに対して実際過去に日本で発生した地震のガルの値は...
東日本大震災----2933ガル
新潟県中越地震--2515ガル
熊本地震--------1791ガル
ちなみに住宅メーカーの耐震性能は...
三井ホーム---5115ガル
住友林業-----3406ガル

樋口理論というのはこのガルの値に注目して原発には耐震性は無いとしている。
こんなに単純かつ明快な結論にはビックリした。こんなに分かりやすい話をこれまで何故誰も唱えなかったのか。あったのに広がらなかっただけなのか?たぶん私が知らなかっただけなのでしょう。あまりに明快過ぎて「ウソでしょ!」と思ってしまった。

本作が伝えている事実のもう一つが原発に頼らないでエネルギーを得ようと、各地の農家で既に展開されているソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)の試み。農地の上に太陽光パネルを設置して日射量を調整しつつ、農作物と同時に太陽光でエネルギーを産出する仕組みだ。
東日本大震災による福島原発のメルトダウンで壊滅的な打撃を受けた福島の農家の方々が、農地にソーラーパネルを設置して農産物の収穫と同時に原発から再生可能エネルギーへの転換を図っている。
彼ら若手の農業従事者の活動からは、もう悲劇は繰り返したくないという前向きの決意を強く感じる。

終映後に監督の小原浩靖さんがスクリーンの前に立って話をしてくれた。
「皆さん、これからはガルガルガルガル言いましょう」と柔らかい語り口で話されていた。こういうドキュメンタリーを作る方なのでなんとなく尖った方なのかなと想像していたが全く違った。最後に皆さんから何か質問がありますか?と客席に振られたので、「夢のような話が許されていた半世紀前ならいざしらず、気象条件によっては国家が亡くなっていたかも知れない大災厄を経験した現在でも、なぜ日本では原子力村は無くならないのでしょう」と聞いてみたかったけれど他者の質問時間が長くて時間切れになってしまった。

※原子力村:原子力発電界の産官学の特定の関係者によって構成される特殊な村社会的集団のこと。
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