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イル・ポスティーノのkomoのレビュー・感想・評価

イル・ポスティーノ(1994年製作の映画)
5.0
イタリアの漁村に住むマリオ(マッシモ・トロイージ)は、父親と漁師の仕事を共にするのではなく、郵便配達員の職を選んだ。彼の村では字の読める人間は貴重なのだ。
郵便局員の制帽をもらったマリオが手紙を届けるのはたった1ヶ所で、それはチリから亡命してきた詩人のパブロ・ネルーダ(フィリップ・ノワレ)が暮らす家だった。
ネルーダの元へ届くファンレターの数を面白がったりサインを求めたりするマリオだったが、当のネルーダには軽くあしらわれてしまう。
しかしマリオが村の女性に恋をし、自らも詩を綴り始めたことによって、ネルーダとは詩を理解し合うよき同志になってゆく。


「詩人は玉ねぎを持っていても詩作ができる」
こんなユニークなセリフも、この映画を初めて観た時の感情も、この映画の中の光景を思い出す時間も、宝物です。

読み書きができること以外に秀でたところがなく、就業も他の人より遅く、朴訥としているマリオ。
しかし高名な詩人と関わりを持てると分かった途端、人並みにウキウキしたりサインを求めてみたり、若者らしく能動的な部分もあります。そしてそういった時間を経て、詩の世界にのめり込んでゆきました。

マリオが書く詩は気取ったところがなく、しかし”隠喩”を使う喜びを取り入れたもので、とても爽やかです。
ネルーダの書いた詩を女性に持って行ってしまうこともありましたが、それをネルーダに諌められた時に発した「詩は書いた人間のものじゃない。必要としている人間のためのものだ」という言葉も妙に本質を突いていて、ネルーダを納得させてしまいました。

そんなマリオの言葉通り、人生は『自分自身で何を創り出したか』も大切ですが、『何と出逢い、何を見たか』も重要だと思いました。
マリオ役のマッシモ・トロイージは病の中で演じていたとは思えないくらい、憧れと希望に満ちた目の輝きを持っていました。
早世が悔やまれますが、この作品のフィルムに自身の姿を残しきったことに畏敬の念を抱きます。

やがてマリオに深い友愛を見せるようになる、ネルーダ役のフィリップ・ノワレの佇まいも良いですね。『ニュー・シネマ・パラダイス』のアルフレード同様、年下の友人に才気を見出し、寄り添う役どころでした。

結末は、フェデリコ・フェリーニの『道』に通ずるような寂寞とぬくもりがありました。
こんな風にお話を締めくくることができるイタリアという舞台の景色と情緒、素敵だなぁと思います。
『道』と並んで、自分の節目節目に観たくなる作品です。
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