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ある惑星の散文のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

ある惑星の散文(2018年製作の映画)
3.5
【虚無に生きる者が生の手触りを感じるまで】
2022/6/4(土)より池袋シネマ・ロサにて公開の『ある惑星の散文』を夢何生さんのご厚意で一足早く拝見しました。本作は、濱口竜介監督『偶然と想像』の助監督を務めた深田隆之が2018年に制作した作品である。本作は鉄道計画の頓挫等で陸の孤島となった本牧を舞台に、人の孤独を描いたもの。これが興味深い映画であった。

山田遼の立体的な撮影が特徴的な作品だ。巨大なコンテナが積まれた地を女性が歩く。それを横移動で捉えていくが、その中でコンテナ車が奥に進んでいく様子が収められる。この女性も道をL字に曲がっていく。カフェでも内側からガラス越しにL字に曲がっていく彼女の姿が収められていく。コンテナ置き場で無機質に動く車のように、女性が動く様子でもって孤独を表現している。

海外に行っている恋人の連絡を待つルイ(富岡英里子)は、ビデオチャットに心躍る。愛する人と楽しいひとときが過ごせると考えている体。しかし、彼からの言葉からは情熱を感じない。しかも、彼の背後に女性の影を感じる。自分は捨てられてしまうのかという猜疑心を募らせていく。一方、その頃カフェで働く芽衣子(中川ゆかり)は精神疾患を抱え、舞台俳優の夢が絶たれた。そんな彼女の前に兄が現れあることを告げられる。輝く世界から隔絶され、ただ人生を歩むことしかないのかと孤独を募らせる女性たちの肖像を捉えていく。横浜の画、都会の画であるにもかかわらずどこか冷たく人間と人間との関係が希薄に見える空間は、我々が惑星に降り立った時のような孤独感を感じる。その現実感を感じない画は、劇場へたどり着いた時に最も虚構性を増すのである。

本作において、そんな陰日向に光を与える存在として「ビデオカメラ」が効果的に使われている。何気ない風景を、画として記憶し、生きた証を刻むことができるビデオカメラ。ルイと芽衣子が出会い、そしてルイがカメラを持った時、彼女たちが人生を散文のように画に描き連ねた時、虚無に追いやられた人生に微かな手触りを取り戻す。

そうです、これは虚無の世界に生きる者が再び生の手触りを感じるまでを描いた繊細なドラマだったのだ。

池袋シネマ・ロサにて2022/6/4(土)より公開。人生に虚無を感じる者への処方箋として是非挑戦してみてほしい。
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