ブラックユーモアホフマン

ある惑星の散文のブラックユーモアホフマンのレビュー・感想・評価

ある惑星の散文(2018年製作の映画)
2.7
テレビドラマやその映画版なんかの全部説明しちゃう、なんならバラエティ番組かの如くテロップとかすら臆面もなく出してしまうような、サルでも分かる説明過多演出はこれ以上続くと観客の考える力をじわじわと弱らせていき、次第にそういう作品しか受け入れられないようなディストピアを生み出しかねないんじゃないかと本気で不安になるので即刻やめて欲しいところだが。

一方で日本のインディペンデント映画界隈には、そういうテレビ的な”分かりやすさ”を極端に嫌う人たちも多くいるなと感じる。しかし”アンチ分かりやすさ”という思想ばかりが先行してしまっているきらいはないか?と本作を観て思った。

端的に言えば、分かりづらければ面白いわけじゃないぞ、ということで。単に分かりづらいだけで面白くもなんともない映画はただ面白くない映画なので。(この作品に対してそこまでは思ってないけど。)説明過多じゃないってことは、イコール分かりづらいってことじゃないから。決して分かりやすすぎることはないけど、分かる。分からない部分もあるけど、そこが面白い。くらいのバランスが丁度いい気がする。

本作の場合は、分からないでもないけど分からせようという気持ちがあまり伝わってこないので途中からは分かってあげようというこちらの気持ちも無くなってくる、という感覚だった。

また、撮り方や音やセリフに対する感覚の鈍さみたいなのもずっと感じて、中途半端だなと思ってしまった。そもそもいかにも自主映画っぽい自主映画って苦手なんですけど。
それこそ濱口さんの『ハッピーアワー』なんかと映像の質感なんかは似てるかもしれないけど、一言一言の言葉に対する意識というんだろうか、そういうとこの細やかさが多分違う。陳腐なセリフや同じようなシーンの繰り返しに、前半からもう飽き飽きしてしまった。

【一番好きなシーン】
ルイが撮るカメラの映像。過去と現在と未来が同時に存在しているような感覚。