ニューランド

エドワールとキャロリーヌのニューランドのレビュー・感想・評価

エドワールとキャロリーヌ(1951年製作の映画)
3.9
☑️『エドワールとキャロリーヌ』及び『グッド·フェアリー』▶️▶️
センス·趣味という意味で、時代を超えた銘品2作。
『エドワール~』は、 ’90年代初めに、ベッケル3本連続公開の1本として観た記憶がある。ベッケル評価に火をつけたというより、今更というベッケルの一般人気に興行界がかなり遅れをとっての買付け、というかんじだった。事実、後の2本の傑作は私でも既に16ミリ英語スーパー版等で観ていた。
その時初めて観た本作品は、その時も今も、最もベッケルらしい魅力·才能がナチュラルに光っている一方、採点的には『モンパルナス~』等よりは上だがこの人のフィルモグラフィ中ではランキング下位に位置づけられる(といっても、まごう事のない傑作には違いないが)、矛盾を表している。とにかく、冒頭夫婦だけのシーンは、この作家の全タッチのハイライトだ。単なるフォロー横行き来ではなく、気にならない寄るや回り込むが透明に溶け込み滑らかさ極上、ラジオ等の音楽に降られての大きく左右の部屋の半ば無意味行き来のルールを無くすルールの自由さ、単純にスムースに寄る·を越え鏡=カメラと美へ向かう肉体自惚れクネクネとの絶妙掛け合いを現す前後移動、室内·或いはその内外の動き·意思にリンクした90°変や1人へ切取り直し。J=P·レオみたいに意識過剰の夫に対し、疑惑にキス押込み→階下突落しのペース引戻しや、その疑惑の夫がいずば大事な辞書の勝手使用平然、等の妻の動態の圧巻呆気·かつキュート途絶えず、は身近な極上夢みたいだ。
これが、妻の伯父のパーティでの、社会に影響力持つお歴々への御披露目ピアノ演奏·出席へと、階層·出自等が絡み拡がってくと、多様な強調キャラ等に無理が出てきて、少し表現が平板に。破廉恥?ドレス裾カットで仲違い、出席チグハグずれの2人が本意でなく邂逅のあり方への、顔見えぬもムード伝わる一方の背からのまろくトロいフォロー移動の内的艶、以外はやや平均的(ルノワールの表向き勢い、内面イチモツの、てんやわんやパーティシーンに近くはあるが)。
しかしフランス上流階級の中、居心地わるい異物の、(田舎者)夫と·直截セレブの米人夫、異を唱える反応も単発続き·だけど2人だけに繋がるものが流れだし、妻との和解か憤り絡み欲望ぶつけか分からない·階級越えて·呑み込み抱擁のアナーキー締めを、強引さ削いでマイルド·円満に仕上げてく。
いまいちの、処女作の暗黒もの、先に述べたモディリアーニ伝記以外は、全作極上·傑作、なんて心地いいアヴェレージの作家は、フランス映画全史でも、ヴィゴ·ルノワール·(ごく初期を知らないが)オフュルスくらいしか 思いつかない。いつもいつしか寄り添ってくれてるを感じる宝だ。
---------------------------------------------------
『グッド~』。 映画を意識的に見始めた頃、ワイラーは勿論新しい波ではなかったが、皆が愛する·拠り所にするエスタブリッシュメントだった。当然私はアンチだったが、今みたくこぞって作家扱いもされないと、こんどは首を傾げる。確かに『大いなる西部』以降の大作·余裕作はすべてペケ、硬いトーランドと組み始め·戦中戦後の社会·発言に構えての時期も好きにはなれない。しかし、’30年代のマイルド画調の撮影下の、西部劇·喜劇·犯罪もの·Rへルマン等戯曲の何でもありの時期の、柔軟さ·確かさ·恐れ知らず·一体流線型、今でも充分魅力的だ。確かに当時の古いキネ旬を読むと、戦前の方に軍配を挙げてる。
本作は、連続してのP·スタージェスの本の、見事なのか、半ば訳分からないもニンマリ止められぬ料理の腕前。出身地近く、見事な欧州社交界の再現、無理なく、セットやカメラの確かな流麗な拡がりと纏まりの確度(正面と斜めのフォローと切返し、前後移動やトゥショット)。会話シーンに割り込み·息づかせる、天井近くから落下·公道や室内や廊下息切らし駆け抜けカットのごまかしない丸ごと捉えと突抜けドンピシャ·才そのものアクションカット。時にどういう論理なのかよく分からないが、役者の楽しみ満載·満喫表情に、この上なく納得の掛け合い·割り込み·アレレ台詞やり取り。ヒロイン程(偶然のほんもの恋の相手は半ば)、人々から教えられたモラルと·反する感情開放の両方に、奇怪に取り憑かれた人はいない分、皆それなりに自然な欲望を正直に持ちながら、それ以上に自覚したモラル·信条に従ってるのが、彼女のせいで絡まり進展·解消変質させられてく。「人を妖精如く救う目標、社会に笑みを返す感謝、世間ズレしてない頑なナンパ対策、やってる事が(巡って)他人の幸せにの喜び、社会に顔出すルールに隠す事多も·存する好きになってく感情」 彼女のバタバタは、彼らの拠り所にしてきた、(職業)倫理、社会·会社規則、正直さ、迷わず直進、見守る監視、自分と愛する対象の一体でもない各々愉悦·等を、意味を失わせ、ふっくら一体個人を越えた幸せの先端を味わせてく。
ハンガリー首都の劇場案内係にテストケースで採用された孤児院出代表の娘の、誘いの手に教えられた過剰防衛とその為の嘘の連鎖と·他人と自分の内なるものへ仕える喜び。それの保全に見込まれたホテルの給仕係、それを破かんと彼女を気に入り·掌中で望む物を与える喜びも·の輸入精肉実業家(ホテルオーナー?)、彼女に誘惑防衛手段としての虚実行き来の夫とされる·元は己れからの欲のまるでない(自己信条の証明止まり)弁護士。
ニューランド

ニューランド