無差別イイネは咒殺

私のはなし 部落のはなしの無差別イイネは咒殺のレビュー・感想・評価

私のはなし 部落のはなし(2022年製作の映画)
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被差別部落について考えるドキュメンタリー。

社会派な映画を見るときに最近よく思ってしまうのは、自分はこの内容を消費してるだけなんじゃないかということ。

現実にこういう事が起きている、ということを知れることは素晴らしいことだと思う。

でもそれで何か行動を起こすわけじゃない。どんなにたくさんの社会派映画を見ても、それを是正しようと動いたことは一度もない。

水俣病にも、入管の問題にも、怒りを覚えても何もしていない。調べてすらいない。

何もそこまでする必要はないんじゃないか、とかつては思ってた。でもどうなんだろう?

俺は怒りとか悲しみとか、そういう風に心を動かされたいから見ているのではないかと思ってしまう。

ファイトクラブのエドワードノートンとなんら変わりないんじゃないかって思ってしまう。

ウクライナの問題で、日本でもいろんな人が怒りを表明したり、SNSのアイコンを青と黄色にしたりした。
でも、すごい性格の悪い考えなんだけど、それで何が変わるのだろうと思ってしまった。

もちろんその行動自体は素晴らしいと思う。一人一人が意見を表明すれば世論が変わって世の中が変わるかもしれない。ウクライナの人も勇気づけられるかもしれない。

でも現実には戦争は全く終わらない。そうこうしているうちに皆のアイコンは元に戻った。いつまでもウクライナの話はしていない。話題は移り変わる。

そりゃそうなんだけど。俺は戦争に対して言及すらしていないんだけど。でもやっぱりなんかこれにモヤモヤしてしまう。

映画では後半、ハタチ前後の友達3人組が登場する。

一人は被差別部落出身者で、ほかに二人はそうではない。

仲睦まじい3人だが、当事者であるかどうかで、やはりどこか根本の部分での考え方が違う。

私も生まれた地域で差別を受けているわけではないので当事者ではなく、やはりどちらかというと非当事者である友人2人の視点に自分を重ねてしまった。

終盤、語り部である男性が中学時代のエピソードを話す。差別を受ける子供たちとそうでない子供たちが一緒に勉強会をやっていたという。そこに自身と同じく部落差別を受ける友人がおり、会に来てた子供たちに「お前らに俺の気持ちがわかるわけがない。ほんとは来ないでほしい」と言ったというエピソード。『パッチギ』で笹野高史が葬式でキレるシーンを思い出した。

そうなのだ。映画を見て分かった気になんてなれるはずがない。涼しい部屋で映画を見ただけなのだ。でもそれでも私たちは理解しようとしなければ。歩み寄らなければ。
今回被差別部落の問題を知った。まずはそれだけでも素晴らしいことだと思う。でもここからがホントのスタート。俺には何ができるのか。まずはもうちょっと調べてみようか。

視聴者にさまざまなことを問いかける素晴らしい作品でした。