雨空

セールス・ガールの考現学/セールス・ガールの雨空のレビュー・感想・評価

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ショップのオーナーと主人公とのシスターフッド、成長物語、日常の小さな幸せだとか色々とラベルは貼れるしそれで観れるのだけど、そもそもそういう名前の付いたラベルは自分の日常のすべてに付けて意識しているわけではなく日常を送っているわけで。そういうラベルを意識させず、本当に登場人物たちの日常が描かれているのがもう大好きすぎて大好きな映画だった。
日常に散らばる小さな幸せ。というとなんだか陳腐に感じてしまう。でもあまりに日常すぎて改めて考えたり思ったりすることはほぼない。いつものように過ごしている日々にちょっとした変化が訪れる。それはあまりも劇的であまりにもチープで、あまりにも些細なこと。
それほど仲良くもない大学の同級生が、落ちていたバナナに足を滑らせ骨折する。そんなアニメみたいなこと起こるの?!みたいな出来事から、その骨折した友人に頼まれて、骨折が治るまでアダルトショップの店員のバイトをすることに。
バイトをきっかけに様々な人々を見て、経験して、色々と話して日常と自分自身が変化していく。
コメディ要素もあって、とくに最後の部屋の場面は登場人物たちと一緒に笑ってしまったし、なんといっても大量のキノコを購入したあとに草原に寝そべって話している場面があまりにもあまりにも良くてめっっっっちゃくちゃ大好きな場面だった。


モンゴルの都心部と地方(モンゴルと聞いてイメージする草原)がどう繋がっているのかということも分かるし、モンゴルがどう成り立っているのかということも分かる。そして国として違う部分はもちろん、人として同じ部分にたいしてある種の連帯感みたいなものを感じたりもして良かった。

最初の主人公はヘッドフォンをして音楽を聴きながら街中を歩く。音楽がともにあって常に日常のいたるところに寄り添うように音楽が流れている。自分語りになってしまうけれど、私も高校生の頃は主人公まんまな感じで常にヘッドフォンかイヤフォンをして音楽を聴きながら街中(通学路)を歩いていた。この映画を観て外界とのシャットアウトと日常をドラマチックに感じるそれだ!と思って勝手に恥ずかしくなったりもした。日常に変化が訪れ主人公が徐々に変わるにつれ、ヘッドフォンをして音楽を聴く描写がなくなっていく。
そして劇中にミュージシャンが登場して物語と地続きに歌を歌う。私はモンゴル語が分からないから断言はできないけれど、たぶん物語と続いた歌を歌っているのだろうなあと。『アイスと雨音』を彷彿とさせてこういうの好きなんだなと認識した映画でもあった。

長々と感想を書いてしまったけれど、シンプルに言うとめっっっちゃくちゃ大好きな映画だった!!
雨空

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